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「罪悪に対抗して堅く立ちなさい」
 






■聖書箇所

「ペテロの手紙 第一 5章 8節〜9節」
5: 8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5: 8 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。




私は今日、皆さんたちとご一緒に『罪悪に対抗して堅く立ちなさい』と言う題目で御言葉を分かち合いたいと思います。

「エデンの園」でのアダムとエバの最大の失策は、悪魔の誘惑に対抗しなかったと言う事実です。彼らは悪魔の前で、「心の武装」を完全に解いて悪魔の言う事に耳を傾けました。その結果、悪魔が誘うがままに行なって神様の言いつけに逆らい、追い出されてしまいました。こんにち私たちの生活も同じです。

悪魔は休まずに、私たちを誘惑し、落とし入れようとしています。そして、誘惑に陥ったら自分の餌食にして食い尽くしてしまいます。悪魔は最もなじみやすい姿で、しかも最も親しい人たちを通して、断りきれない状況の中で私たちに働きかけて来ます。ですから、巧妙なその誘惑に抵抗すると言うことは非常に難しいのです。もしもアダムとエバが、神様の御言葉を覚えて少しでも悪魔に抵抗したとしたら、人類の運命は変わっていたでしょう。こんにちも同様です。悪魔の誘惑が私たちの肉の欲を通して働きかけて来たとしても、心の武装を解かずに断固として抵抗したら、悪魔は退いて行くことになっています。




第一、ダニエルと三人の友人の抵抗精神

私たちに切実に要求されるのは、神様の御言葉で心の武装をし、悪魔に対抗することです。聖書をみますと、ダニエルとシャデラク、メシャク、アベデネゴは、国が滅びるやバビロンに捕虜になって連れて来られ、王室の学校に入れられて勉強する事になりました。それは、後に王に仕える働き人として養成する為でありました。ところがその学校では、寄宿舎での食事に肉とぶどう酒が出るのですが、それは一度偶像へ供え物として捧げられ、それから王も食べ、そして学生たちにも分け与えられるものでありました。

しかしダニエルと三人の友は、決して偶像を拝まず、偶像に仕えないことを誓い、心の中で抵抗しました。彼らは、自分たちのために任命された世話役に言いました。「私たちは、王の食べるごちそうやぶどう酒は要りません。私たちには野菜と水だけをください。」すると世話役は、「そうしてから、もしあなたがたの顔が青白くなったら、私の首が危ない。駄目だ。」と言いました。それでダニエルと三人の友たちは、「そうでしたら、どうか十日間、私たちを試してください。私たちには肉もぶとう酒も与えずに、野菜と水だけをください。そして十日後に、肉とぶとう酒を食べている少年たちと比べて見て、あなたの見るところに従って私たちを扱ってください。」と願いました。

それで、ダニエルとシャデラク、メシャク、アベデネゴは、十日の間野菜と水だけを与えられましたが、王のごちそうを食べる他の学生たちよりも顔色がよく、健康なので、継続して彼らは卒業する時まで野菜と水を食べました。彼らは、心の中に悪魔と世俗に対して抵抗する信仰を持っていました。彼らは決して悪魔や世俗と妥協しませんでした。彼らは卒業の時にみると、他の学生たちより知恵と悟りが十倍も優っていました。それで、バビロンで重要な高官の職に任じられました。

ところが、ネブカデネザル王はドラの平野に自分が仕える金の像を建てました。そして、その奉献式に全バビロンの太守、長官、総督、諸州のすべての高官を召集し、音楽が奏でられ始めたらその金の像を拝むように命じました。しかし、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはこれを拝まずに棒のように立っていました。これを聞いた王は怒りたけり、彼らを呼びつけました。そして言いました。「あなたがたは私の立てた金の像をどうして拝まないのか?楽器の音を聞いてもし拝むならよし。それでも拝まないなら、ただちに火の燃える炉の中に投げ込む。どの神が、私の手から救い出せようか?」

その時、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは断固とした態度でこれに抵抗しました。『もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。』(ダニエル書3章17節〜18節)抵抗する信仰、無条件的に妥協して従っていくのでなく、志操堅固で、抵抗する信仰を彼らはもっていました。そうするや、王は怒りに満ちて火を普通より七倍熱くした炉の中に、彼らを縛って投げ込みました。

ところが、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中でなわが解かれ、何の害も受けず、しかももう一人、第四の者が加わった四人の歩いている姿が見えました。驚いた王が急いで立ち上がって言いました。「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。それなのにどうして四人の者が見えるのか?第四の者の姿は神々の子のようだ。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。すぐ出て来なさい。」

そうして火の中から出て来た彼らは、頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしませんでした。王はあまりにも驚いて、その場で改心し、「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者は誰でも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。」と全国に命令しました。妥協しない信仰が、信じない人たちを変化させました。妥協したら私たちも死に、信じない人たちを変化させることもできません。それで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは妥協することなく、この世と悪魔に抵抗する信仰の模範となったのです。




第二、ダニエルの志操と抵抗信仰

第2番目に、ダニエルは、ペルシャの王ダリヨスの時代に王からたいへんな寵愛を受けました。ダリヨス王が全国に120人の太守を任命し、その上に3人の大臣を置き、ダニエルを首席大臣にしようとしました。そうするや、大臣や太守たちがダニエルを妬みました。そして彼らは、ダニエルを何とか失脚させようとやっきになって、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようとして努めましたが、何の口実も欠点も見つけることができませんでした。

ダニエルは忠実で、何の怠慢も欠点もありませんでした。ところが一つ、ダニエルは一日に三度、エルサレムに向かった窓を開けて神様に祈っていました。或る日、大臣と太守たちは申し合わせて王の前に来て、「王様、ひとつの法令を制定し、今から30日間、あなた以外にいかなる神にも人にも祈願をする者は誰でも、獅子の穴に投げ込まれるという勅令を出して下さい。」と言いました。そこで王は、その勅令の文書に署名しました。

これを知っていながらもダニエルは、いつものように、エルサレムに向かっている窓を開けてひざまずき、日に三度、彼の神の前に祈りを捧げました。彼は断固とした信仰に堅く立って、王の命令であるとしても神の御心に背く事には抵抗しました。そうするや、直ちにダニエルの敵たちは王にそのことを報告し、ダニエルを逮捕して獅子の穴に投げ込むように進言しました。王は、妬みによってそのような事になったことを知り、何とかダニエルを助けようとしましたが、自分が勅令を下したのですからどうすることもできません。それで王は、ダニエルを獅子の穴に投げ込んでから、歌舞を禁止させ、自分は断食して苦しみました。

そして次の日の夜明けに、王は獅子の穴に近づいて行って大声でダニエルに呼びかけて言いました。 「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか?」すると中から答えがありました。「王様。永遠に生きられますように。私は何も悪いことをしていません。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいで下さったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。」そこで王は非常に喜び、ダニエルを穴から引きあげた後、王はダニエルを訴えた者たちを捕らえて、彼らの妻子とともに獅子の穴に投げ入れました。すると彼らが穴の底に落ちないうちに獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまいました。

その結果、ダリヨス王が神様の生きておられることを体験して全国民に詔書を下し、神様を畏敬し賛美するようにしたのです。ご覧下さい。私達がどのような立場にあろうとも、世俗と悪魔に対抗する断固とした信仰を保つ時、神様がそのような人と共に居てくださり、このような人を通して信じない世界が変化されるようになるのです。私たちがこの世や悪魔と妥協したら、私たちも死に、この世を救う事もできません。

しかし、私たちが断固とした信仰をもってこの世と悪魔に向かってはっきりした態度で抵抗したら、神様が私たちと共にいて下さり、その信仰を通して神様の栄光が現れて、信じない人たちも悔い改めて神様の前に出てくるようになるのです。




第三、断食後、悪魔の誘惑に抵抗された主

第3番目に、イエス様は40日40夜断食なさってから、悪魔から誘惑を受けました。誘惑はいつも甘ったるいものです。40日40夜断食したのですから、どんなにお腹が空いていた事でしょう。悪魔は来て、温情たっぷりに言いました。「40日40夜断食をして、さぞやお腹が空いているでしょう。あなたは神の子ではありませんか。今その力を使用して、石をパンにして召し上がりなさい…。」とても優しく、心配してくれる表情で悪魔は誘惑しました。

その時、イエス様はどうなさったでしょうか。悪魔の誘惑に対して断固として抵抗なさいました。『「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」と書いてある。』(マタイの福音書 4章 4節)

そうするや、悪魔がまた誘惑しました。悪魔はイエス様を連れて行き、神殿の頂きに立たせて、「飛び降りてご覧なさい。あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。神は御使いたちに命じてその手にあなたを支えさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされるでしょうから。そうしたら、すべての人たちがそれを見て拍手を送り、あなたを尊敬し、あなたは栄誉を得るようになるでしょう。」と誘惑しました。

しかし、イエス様は断固として拒否しました。『「あなたの神である主を試みてはならない。」とも書いてある。』(マタイの福音書 4章 7節)と言われながら抵抗なさいました。私たちも、このように抵抗し拒否しなければなりません。

さらに悪魔は、人がもっとも喜ぶ権力欲をもって誘惑しました。悪魔は非常に高い山にイエス様を連れて行き、この世のすべての国々とその富貴栄華、快楽を見せながら言いました。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。私に与えられているのですから、私があなたに与えることができます。さあ、私を拝みなさい。」しかしイエス様は、『引き下がれ、サタン。「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。」と書いてある。』イエス様は断固としてそれを拒否し、抵抗なさいました。

すると悪魔は、イエス様を罠に陥れることができずに、離れて行ってしまいました。私たちは、悪魔の誘惑を拒否し、それに抵抗する信仰を持たなければなりません。こんにち、教会の聖徒さんたちは、悪魔の誘惑に対して拒否するとか、抵抗するとかしません。教会に来ては、イエス様を信じ、賛美します。しかし外に出たら心を悪魔の前にいっぱい開いて、悪魔のすべての誘惑や魅惑に陥り、引きずり回されています。韓国には1200万人の聖徒がいると言われています。しかし、韓国の暗闇はそのままあり、腐敗もそのままです。

私たちクリスチャンが「光」であると言いながら、暗闇を拒絶し、光を照らすことをせず、暗闇に同調します。また「塩」として、腐敗にたいする塩の役割をしません。一緒になって腐敗していきます。我が韓国のクリスチャンたちには、宗教はありますが信仰がありません。キリスト教はありますが、塩と光の役割はしていません。何故でしょうか。悪魔の誘惑に抵抗しないからです。悪魔と妥協しているからなのです。




第四、悪魔に抵抗するために

私たちが悪魔に抵抗する為には、私たちの胸の中にはっきりと神様の「戒め」を刻み込んでおかなければなりません。私たちが必ず守らなければならない「おきて」が、はっきりと心の中になければなりません。

『わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。自分のために偶像を造って、それらを拝んではならない。あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。あなたの父と母を敬え。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。隣人のものを欲しがってはならない。』…これらを心の中に明確に刻み込んで置いてこそ、世俗と悪魔が誘惑する時、この戒めに反する事は私たちがそれを拒否し、抵抗するようにしなければなりません。

心に神様の戒めやおきてを知らないことには、悪魔が誘惑して来た時、それが誘惑なのか、そうでないのか、判別することができません。しかし心の中に神様の戒めがはっきりと刻み込まれていたら、誘惑にあった時、戒めに映してみて、それが戒めに反するなら悪魔の仕業ですから断固として拒否し、抵抗することができるのです。

また、イエス・キリストが十字架に釘付けられて身を裂き、血を流して、私たちを贖って下さった御恵みを心の中に深く信じて、その御恵みに逆らう事には私たちは抵抗しなければなりません。罪が近づいて来たら、「イエス様が十字架の上で私たちの罪を贖うために血を流して下さった。イエス様の御名と血潮によって命じる。罪は退け!私はお前と妥協することはできない!」と抵抗しなければなりません。

世俗が忍び込んできても、「イエス・キリストの血潮によって世俗から私は解放されたのだ。お前たち、世俗と悪魔は退け!近寄るな!」と抵抗しなければならないのです。

この世の悲しみと挫折と絶望が近づいて来たら、「イエス・キリストの御名によって命じる。この世の悲しみ、挫折、絶望は離れ去れ!私はお前とは関係がない。イエス様が私を救ってくださったのだ!」と抵抗しなければなりません。そうしたらそれらは退いて行きます。

肉体の病気が襲って来たとき、人々は余りにも簡単にそれを受け入れます。「風邪をひいた!腰が痛い!肺病にかかった!胃腸病だ!心臓病だ!関節炎だ…!」このように簡単に受け入れて、口で認めてしまいます。それで、どうしようもなく病気の捕虜になってしまいます。ですから、断固として抵抗しなければなりません。

風邪気味になったら素早く、「イエス様の御名によって命じる。退け!風邪を受け容れることはできない!」「ガン?私はお前を認めない。お前は私の中に入って来ることはできない!イエス・キリストの御名によって命じる。退け!」「イエス・キリストが、私たちのために鞭に打たれたことによって、私たちは癒されたのだ。」と絶えず抵抗する事によって、すべての病魔は退いて行きます。

人たちはこの世を暮らしながら、呪いや貧乏が近づいて来ても、それを運命として受け入れます。呪いに抵抗し、貧乏に抵抗し、それらを拒否しなければなりません。「キリストは、私たちのために呪われたものとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださったのだ。イエス様の御名と、その血潮によって'呪い'に抵抗する。お前たち'呪い'を私は拒否する!」「貧乏を私の生涯の中から拒否する!私は受け入れない。離れ去れ!」と、抵抗し拒否する信仰を持たなければならないのです。

死が近づいて来て、死の恐怖が私たちを襲うとしても、私たちは断固として、「我が主・イエス・キリストが死と陰府に打ち勝たれたのだから、私はよみがえりであり、いのちである。死の恐怖は退け!死の恐怖は私から離れ去れ!」と命じなければなりません。そうしたら死の恐怖と悪魔は離れ去り、私たちはキリストと天使の加護のもとに安らかに天の御国に行くことができるのです。

私たちの信仰は、悪魔がもたらすものを拒否し、それに抵抗するものでなければなりません。悪魔がもたらすものを、アダムやエバのように耳を傾けて頷きながら受け入れたら、悪魔はたやすく私たちの心を麻痺させ、正常的な思考をすることができないようにし、悪魔の思いとおりの虜(とりこ)になってしまいます。悪魔は凄い麻酔剤を持っております。私たちが悪魔の誘惑に耳を傾けて頷いたら、悪魔は恐ろしい麻酔剤で私たちの心を麻酔させてしまいます。

心が麻酔されてしまったら、自分の考えとは関係なく悪魔がさせるままに従って行くようになるのです。ですから、私たちは神様の戒めと神様の約束の御言葉に心の中で必死に縋りついて、悪魔の誘惑を拒み、それに抵抗しなければなりません。私たちは「心」という城壁の門を、悪魔に対して堅く閉ざさなければならないのです。「箴言 4章23節」に、『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。』と記されています。心に忍び込んでくる甘い誘惑に対して、私たちはそれを拒否し、抵抗するようにならなければなりません。

「マタイの福音書 12章43節〜45節」には、空家のわずらいに関したお話しが記録されています。主が言われました。ある人の家に汚れた霊が入って来ました。人がその汚れた霊を追い出して、家の中を掃除してきちんと片付けておきました。ところがその家には主人が無く、空いていました。一旦出て行った悪霊が行き所がないので、舞い戻って来ました。その家に主人がいないのを見て、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて入って来て、その家に住みついたので、その人の後の状態が初めよりもさらに悪くなった、と言います。

私たちが悔い改めて、イエス様の血潮で心を洗い清めても、主人意識をもち信仰に堅く立って拒否し、抵抗しながら門を堅く閉ざさなかったら、空家と同様です。それで汚れた霊がほかの七つの霊を引き連れて来て再び住みつくので、世俗で満たされるようになります。私たちはイエス様を信じて、天の御国が私たちの心の中に臨みました。世俗と汚れた霊共は追い出されて、天の御国と聖霊さまが入って来ています。ところが私たちはこの世の真ん中で暮らしています。

この世の悪霊たちは、あらゆる誘惑と世俗のすべてを持って、私たちの中に攻め込んで来ようと躍起になっています。私たちの中にはイエス様が王となられ、天の御国が臨んでいます。世俗や悪霊がいくら私たちの中に入って来ようとしても、私たちの中にはキリストと聖霊さまが入って来ておられますから、私たちはキリストの御名と聖霊に拠り頼んで悪霊に抵抗しなければなりません。聖書には、『悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』と記されているのです。悪魔の甘ったるい誘惑に耳を傾けて目を輝かしたら、間違いなく食い尽くされてしまいます。

「詩篇 119篇11節」に、『あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。』と記されています。御言葉を心に刻み込んでおき、御言葉に立って抵抗したら、悪魔は退いて行くのです。また、私たちは弱いのではありません。神様が私たちを助けてくださる為に、聖霊さまを遣わしてくださいました。「助け主」とは、私たちを助けてくれる為に常に私たちと共におられる方のことです。第3位の神様がいつも私たちと共にいてくださって、私たちが助けを求める時、私たちを助けてくださるのです。

「ローマ人への手紙 8章26節」に、『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』と記されています。また「ヨハネの手紙 第一 4章 4節」には、『子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。』と記されています。

ですから、聖霊さまの助けを求めなければなりません。皆さんの中におられる聖霊さまは、この世にあるどのような悪魔や悪霊よりも大きく偉大なのです。ですから、聖霊さまの助けを求めなければなりません。私たちが誘惑に会って、どうすることもできないようになる時、「聖霊さま、私を助けて下さい。私の中におられる聖霊さま、立ち上がって私の為に戦ってくださり、勝ってください!」と祈ったら、聖霊のみわざが現れて私たちが勝つようにしてくださるのです。ですから、私たちは断固として、私たちと共におられる聖霊さまの助けを祈り求めなければならないのです。

それだけではなく、私たちは悪魔に誘惑されるような場所と機会を避けなければなりません。昔、新羅の「キム・ユ・シン」将軍が女に溺れて遊郭に入り浸りました。それを嘆いた母親が或る日、彼を呼び寄せて厳しく叱りました。「一国の柱ともなるべき者が、若い身空で酒と女に溺れてどうするつもりですか?国とあなたの将来を考えなさい。」―そこで「キム・ユ・シン」は、我に返って涙を流しながら悔い改めました。そして、心の中で「もう二度と、あの遊郭には行かない!」と堅く決心しました。

その後のある日、激務に疲れて馬に乗って帰宅する途中、「キム・ユ・シン」は馬の背中でいねむりをしました。習慣とは恐いものです。馬は主人の意思とは関係なく、いつもの遊郭の前に主人を乗せて行きました。目が覚めた「キム・ユ・シン」は、驚いて馬から降りるや、刀を抜いて馬の首を切り落としました。そして、直ぐにその場を離れました。後に「キム・ユ・シン」は、三国統一に赫々たる功績をあげた有名な将軍となりました。

ある子供がパン売店の前で、両手を揉みながらパンを見詰めておりました。そこを通り過ぎかけた人が子供を見て訊きました。「お前、何をしているんだい?」すると子供が答えました。「パンが食べたくて食べたくてたまらないんです…。」皆さん、パンを見詰めながら苦しまずに、そこを離れなければなりません。アルコール中毒者が、イエス様を信じるようになってから、ようやくアルコールを遠くする事ができました。ところがその人がある日、酒屋の前で長い間頑張ったあげくに、結局は酒屋に入ってしまいました。酒屋の近くに行ったのが悪かったのです。

誘惑される機会と場所を避けなければなりません。罪は避けることが一番です。どうすることが出来ずに出会ったら戦うべきですが、しかし避けることが、私たちが誘惑に勝つ最善の道です。私たちの心は、余りにも虚弱です。誘惑や脅迫にたやすく心の城門が開かれてしまいます。そうなったら、悪魔の餌食になってしまいます。罪を犯すようになり、後悔するようになり、大きな傷を負うようになります。

ですから私たちは、神様の御言葉で心に城壁を堅く築き、堅固たる意志を城門として、悪魔の誘惑や攻撃に抵抗しなければなりません。抵抗する人だけが生き残ります。城門を開いておいて抵抗しない人は、悪魔に占領されてしまいます。誘惑は心を麻痺させて、一時的な肉の快楽をもたらしますが、長い間、心に傷を残します。誘惑に抵抗して克服したら、一時的な肉の快楽は逃しても、長い間、心の平安を維持するようになるのです。人の幸福は、長久なる心の平安にあるのであって、一時的な肉の快楽にあるのではありません。

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』と言われました。皆さん、私たちが敵対しなかったら、悪魔と世俗とこの世の文化に溺れて、結局は私たちのたましいも失ってしまい、破滅されてしまいます。特に救いを受けた私たちは、絶えず悪魔の脅迫と恐喝と誘惑を受けます。私たちは断固として拒否し、抵抗する、そのような信仰を持たなければなりません。

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのように、ダニエルのように、どのような危機に瀕しても神様の御心に反するものは拒否し、抵抗することができる、そのような皆さん、そのような抵抗精神の持ち主となられますよう、主の御名によって祝福します。




お祈り

聖く、全知全能であられ、愛であられる天のお父さま!私たちの中にはイエス様が王として入って来ておられ、天の御国が臨んでおり、聖霊さまが共におられます。私たちはこの世の文化の中で、この世の王である悪魔と一緒に暮らしておりますが、絶え間がない悪魔の誘惑や脅迫、恐喝を断固として拒否し、抵抗しながら、ひとえに信仰に立って生きて行けるように導いてください。心の武装を解除して、たやすく妥協してしまう、そのような間違ったクリスチャンにならないように助けて下さい。

そして、宗教はあっても、イエス様がおられない人にならないようにしてください。また、教会には出席しながら、新生できなかった人とならないように助けてください。イエス様を救い主として受け容れて悪魔と世俗を追い出し、聖霊で充満になって、断固として悪魔と世俗を拒否し、それらに抵抗する私たちとなれるように助けてください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!