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「人生の優先順位を決めなさい」
 






■聖書箇所

「マタイの福音書 6章33節」
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。




私は今日、皆さんと一緒に『人生の優先順位を決めなさい』と言う題目でお恵みを分かち合いたいと思います。

大小様々なことを成功的に実践しながら暮らす人は、いつも自分の人生の優先順位をはっきりと定めて暮らします。例をあげれば、私は、朝早く起きたら、先ず第一に聖幕祈祷を捧げます。聖幕を通した祈りを捧げたらとても恵まれます。そうしてから、その日の「解説・一読聖書」を読んだあと、ラジオ(徒手)体操をし、顔を洗ってから、外出服に着替えて、食事をしたあと、歯を磨いて、家を出ます。

このような順序に従わないと、生活が無秩序になり、心の整理整頓ができません。私たちが毎日毎日暮らして行く計画も、はっきりした優先順位に従ってしなければなりません。一生を暮らして行くのにも優先順位を決めなければなりません。

この新年を暮らして行くとき、どのように優先順位を決めたら良いでしょうか?




第一、神の国とその義とを先ず第1に求めなさい。

第1番目に、私たちは、新年にもっとも優先順位として先ず第一にしなければならないことは「神の国とその義とを先ず第一に求めること」です。先にすべきことと、後にすべきこととを知らなければなりません。後にすべきことを先にし、先にすべきことを後にするとしたら、混乱が襲って来るようになるのです。

聖書には、「マタイの福音書 6章33節」に、『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と記録されています。

順序を正しくしたら、人生のほかのすべての必要なものは自然的に成就させて上げると言われたのです。最初のボタンを正しくはめたら、最後までボタンが正しくはめられますが、最初のボタンをはめ間違えたら、最後までボタンが正しくはめられず、服はずれるようになるのです。ですから順序を正しく決めて暮らさなければなりません。

私たちの人生の中でもっとも重要なのは、神様に心から仕えることです。これより以上に重要なことはほかにありません。「マタイの福音書 22章37節〜38節」に、『そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。』と記録されています。

何故、私たちが神様に先ず仕えなければならないのでしょうか?それは、神様は私たちを造られたお父さまであられるからです。私たちの根本が神様にあり、神様が宇宙の主宰者であられ、中心であられ、歴史の支配者であられ、私たちの生死禍福を主管なさるからです。従って、私たちが神様に先ず仕えることは当然なことです。

「イザヤ書 44章24節」に、『あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。」』と記されています。絶対主権者であり、唯一無二の私たちを造られた神様ですから、私たちが神様に先ず仕えることは当然なことなのです。

そして、この世を暮らす間、私たちを慰めてくださる方も神様であり、私たちが難しい目に会ったときに私たちを助けてくださる方も神様なのです。ですから私たちの慰労者であられる神様に先ず私たちが仕えてこそ、私たちが難しい目に会うとき慰めていただき、助けが必要であるときに助けていただけるのです。神様に先ず仕えてこそ、私たちが難しい目に会うとき神様のお助けを望むことができるのです。

「詩篇 33篇20節」に、『私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。』と記録されています。神様は私たちを助けてくださり、私たちを守ってくださる盾となられますので、神様に先ず仕えることは当然なことです。

また、私たちが神の御国に先ず仕えなえればならないのは、私たちがこの世を去った後に行くべきところが其処だからです。人は永遠に生きることはできません。私たちは皆、窮極的に死に向かって走っています。その死がいつ近づいて来るか、私たちは知りません。しかし死の向こうの行き着くところがどこでしょうか。天の御国です。私たちクリスチャンの行き着くところは天の御国ですので、私たちが窮極的に行って永遠に暮らすところが天の御国である以上は、神の御国とその義とを先ず第一に求めることは当然の理なのです。

「ヘブル人への手紙 11章16節」に、『しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。』と記録されています。私たちの故郷は、肉体の故郷ではなく、霊の故郷である天の御国です。自分の故郷を憧れることは当然なことです。

「ピリピ人への手紙 3章20節」に、『けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。』と記録されています。私たちは大韓民国の市民であるだけでなく、それより先に天の御国の市民なのです。ですから私たちが先ず神様に仕えることは当然なことなのです。

「それでは、神様にどのように仕えるべきでしょうか?」と言う質問をする聖徒さんがおられます。勿論、私たちの心の中にいつも神様が中心になっていなければなりません。朝早く目を覚ます時から、夜遅く眠りにつく時まで、いつも意識の中に神様がおられなければなりません。いつも神様を意識しながら暮らさなければならないと言うことです。

それだけではなく、私たちは1週間の最初の日である「主日」を聖く捧げなければなりません。イエス様がこの日復活なさり、イエス様がこの日弟子たちを尋ねて来られ、この日に神様が天の窓を開いて聖霊を注いでくださり、教会を誕生させてくださった日が「主日」です。従って私たちは、主日を聖く守り、この日教会で神様に仕え、礼拝することは当然なことです。六日間の間は働き、七日目には仕事は休んで、教会に来て神様に仕え、礼拝を捧げることが神様の御心なのです。

そして私たちができる限り時間を割愛して、三日目の日(水曜日)にも教会に来て聖書の勉強をし、神様に礼拝を捧げて、私たちの心が神様で充満になるようにする、そのような生活をしなければならず、また私たちの地域社会では「セル区域礼拝」に出席して、セル区域員として又は指導者として自分たちの地域社会で神様に仕え、福音を宣べ伝えることをしなければならないのです。

「ヨハネの福音書 4章24節」に、『神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』と記録されています。心の中心に霊とまことをもって主に仕えなければならないのです。また、「ヨハネの福音書 12章26節」に、『わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』と記録されています。

主に仕える人は、主に従って暮らします。主に従って暮らす人は、今からはじめて永遠に主と共にいるようになり、イエス様に仕える人は、神様が愛してくださると言いました。ですから私たちは、この世で父なる神様とイエス様に心から仕えなければならず、物質がある所にその人の心があると言いますから、私たちが神様に仕えるとき、素手で仕えてはいけません。

主である神様の御前に出てくるとき、素手で出て来てはならないと言われました。それは何故か、私たちの霊とまことを神様にお見せしなければならないからです。仕えるところに霊とまことがこもっていなければなりません。霊とまことがなしにはいたずらになりやすいからです。

「マラキ書 3章10節〜11節」に、『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。・・万軍の主は仰せられる。・・』と記録されています。

2003年最初の週から私たちが十分の一を捧げなかったなら、神様に必ず十分の一を差し上げて礼拝を捧げなければなりません。何故かと言えば、十分の一は私たちのものではなく、神様のものだからです。十分の一を私たちが横領することは、神様のものを盗むことになり、そうしたら、あなたとあなたのすべての産業が呪われる、と言われました。神様の呪いを受けたら滅んでしまい、神様の祝福をいただいたら栄えるようになります。ですから私たちが心から礼拝を捧げたいなら、私たちは先ず十分の一を神様に差し上げてから礼拝を捧げなければならないのです。

「箴言 3章 9節〜10節」に、『あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。』と記録されています。神様を敬う道がそれです。神様を無視する道は十分の一を盗むことであり、神様を敬う道は十分の一を神様に捧げることです。神様を敬えば、神様が祝福してくださってあなたの倉がいっぱいに満ち溢れ、あなたの酒ぶねは新しいぶとう酒で溢れるようになると言うのです。

聖書には、『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。』と記録されています。ですから、天の御国とその義とを先ず第一に求め、神様に先ず仕える道には、私たちが物質的な献身をしなければならないのです。そして奉仕、愛の実践をもって私たちは神様に仕えなければならないのです。

「ローマ人への手紙 12章10節〜11節」に、『兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。』と記録されています。私たちが互いに愛し合い、互いに仕え合うことも、主に仕えることです。神様を、私たち人生のもっとも敬うべきお方として私たちが仕えなければならないのです。

神様を敬いながら暮らすとき、神様から感動していただくのです。神様も感動なさいます。神様に先ず仕え、神様を愛することによって感動なさったら、神様は黙ってはおられません。「詩篇 91篇14節〜16節」に、『91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。』と記録されています。

感動なさる神様であられるのです。皆さんが先ず神様を敬い、神様に仕えたら、神様は本当に皆さんの敬う心を受け入れて感動なさり、主はその御手を開いて皆さんを祝福してくださるのです。「ヨブ記 22章21節」に、『さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。』と記録されています。神様と私たちとの間に平和があってこそ、幸いがあるのです。神様と私たちとの間が戦争状態であったら、私たちには平安がなく、幸いが臨むこともありません。




第二、家庭と家族

第2番目に、私たちの生活の優先順位は家庭と家族です。こんにち、人たちは、余りにも忙しいので家庭や家族を顧みる時間がない、と言いますが、皆さん、何がために忙しいのでしょうか。何がために職場に出勤し、何がために事業をなさるのでしょうか。家庭と家族を保存するためにそうなさるのではないでしょうか。目的と方便が互いにごっちゃになってはいけません。私たちの生活の根は家庭です。家庭がなしに独りで生まれた人は一人もいません。

私たちは皆、家庭で生まれて成長しました。家庭が私たちの生活の根なのです。家庭が不安であったら生活全体が不安です。我が国の人たちは「火病」(欝怒 又は 癇癪病)に罹ったとよく言う人が多いです。特に‘嫁と姑’の葛藤よる心の病気がそれです。或いは‘暴力を振舞う夫’とか、‘放蕩な子供たち’とか、経済問題等々、このような事たちが家庭を根底からくつがえそうとするのです。

皆さん、家族同士の中で睦まじくなかったら幸福と平安はありません。いくら豪華な家で暮らし、美味しい食事をし、豪奢に着飾るとしても、家庭が平安でなかったら決して幸福はありません。たとえ立派な家で暮らすことができず、豪奢に着飾ることができず、美味しい食事ができないとしても、家庭内で互いに愛し合い、安らかに暮らせば、幸福はそこから出発するのです。

「箴言 17章 1節」に、『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。』と記録されています。乾いたパン一切れを食べても家庭が睦まじく、愛し合いながら暮らすことが、ご馳走を食べながら和睦がなく愛がない家庭より幸福なのです。

不幸な結婚生活は、夫婦と子供たちだけでなく、職場の業務効果と、肉体的、精神的に、また健康と財政状態、睡眠までも破壊する否定的な影響を及ぼすようになるのです。

ですから、家庭が平和であるためには、私たちは先ず父母を敬い、不孝をしないようにしなければなりません。皆さん、父母を敬わなければなりません。父母と争ってはなりません。父母と争った後には、その心の中に平安と幸福はありません。父母と争った後に、神様の御前に正しく立つことができないのです。「出エジプト記 20章12節」に、『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。』と記録されています。

父母との関係に関しては、神様が関心を持って注視すると言うのです。それで、父母を敬えば主があなたに与えようとしておられる地で、あなたが長生きするようにしてあげる、と言われたのです。たとえ父母が今はこの世になく、すでにこの世を去って行ったとしても、心の中に父母に関する尊敬心は持っていなければならないのです。これが皆さんが平和に暮らすようにしてくれるのです。

また、夫婦の間で理解と同情と愛と和睦と平安を維持するために努力し、祈らなければなりません。「エペソ人への手紙 5章33節」に、『それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。』と記録されています。

夫婦間に不和があったら、心に大きな暴風雨が吹きまくります。夫婦間が不和であり争う人が職場に出勤したら、会社の仕事に集中することができません。無意識のうちに上司とぶっつかるようになり、配下の人とも不和が生じます。また夫婦間が不和であったら、商売をしても顔が暗いのでお客が遠退きます。

しかし、家庭が和気藹々し、夫婦が互いに理解し、愛し、尊敬し、睦まじかったら、心に平安があるので、どこへ行こうと印象も良くなり、雰囲気も良くなり、上下の人たちとも友好的関係を結ぶことができ、平和な人生を生きて行くことができるのです。

皆さん、夫婦の幸福は口と耳が左右する、と言う研究結果が出ました。それは、夫婦関係と言うものは他人同士が集まって暮らすものなので、絶え間なく互いに理解しようと努力し、同情し、愛し、睦まじく暮らそうとするだけでなく、いつも褒め言葉を口にしなければなりません。褒めることがとても重要です。

夫は、妻を絶え間なくいつも長所を取り上げて褒め、妻も、夫を絶えず長所を見つけて褒めなければなりません。数多い訓戒と教訓と叱責が、夫婦の間に愛と和睦をもたらしはしません。しかし一言の賞賛が、夫の心を溶かし、妻の心を楽しくして、二人が和解するようにするのです。夫婦関係には口と耳が非常に重要です。

今日の私のこのお話しの内容を聞き流してはいけません。この一年を暮らす間、夫婦関係にあつて口と耳をよく活用しなさい、と言うことです。褒める言葉に耳を傾け、そして唇を開いて賞賛しなさい、と言うことです。人はいくら偉大であり、立派であっても、他人が賞賛し畏敬する言葉を聞きたいと願っています。

アメリカの第16代大統領「アブラハム・リンカーン」は、いかに偉大で立派な人ですか。南北戦争を成功的に終え、彼は夫人と一緒に劇場に行ったところを暗殺されてこの世を去りました。その血に塗れている衣服を脱がせながら、外套に何かがあるので取り出して見たところ、地方の新聞が自分を賞賛した記事のスクラップをみな鋏みで切り取って、ポケットに仕舞いこんであったと言います。

「アブラハム・リンカーン」のように偉大な大統領も、自分を賞賛する新聞記事のスクラップをポケットに入れておいて、それを取り出して読んでは勇気を得たと言うのです。ですから皆さん、夫婦間にあっては、理解と同情と愛と和睦と平安のためにいつも口と耳を使用し、そして祈りを捧げなければなりません。「主である神様!私たち夫婦が理解と同情と愛と和睦と平安をもって暮らすことができるように助けてください。」祈らなければなりません。

このような祈りは、良いときでも悪いときでも、いつも捧げなければなりません。主のお助けを求める行為なのです。カナの婚姻の宴会で水をぶとう酒に変化させた主が、今日も私たちと共におられます。水をぶとう酒に、水のような夫、水のような妻をぶとう酒に変化させる奇跡の権威は、イエス様が現して下さるのです。祈ってこそ主が成就させてくださるのです。

家庭の平和のためには、子供たちと対話をし、親密に過ごしてください。この世の中でもっとも近い骨肉が子どもです。皆さん、子どもとの間が不和であったら子どもも不幸であり、父母も不幸です。夫婦は他人同士が結ばれた間柄ですが、子どもは骨の中の骨であり、肉の中の肉です。夫婦は法的に離別することができますが、子どもとはいくら離別しようとも離別することができません。敵となっても敵として残っており、愛しても愛として残ります。父母と子どもは離別することができません。

「エペソ人への手紙 6章 4節」に、『父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。』と記録されています。我が国の青少年中22%が、家庭で一日にただの1分も父親と対話をしないと言います。青少年の22%が父親とただの1分も対話をしないと言うのですから、家庭が完全であるはずがありません。産んで上げただけで子どもではありません。子どもと対話をしなければなりません。

ですから、皆さんの人生の優先順位が先ず神様に仕えることであったら、二番目は家庭に仕えなさい、と言うことです。これが優先順位です。仕事が忙しくても、遊びが忙しくても、子どもたちとは対話をしなければなりません。子どもを育てることは、それ程自分個人の幸福にも絶対に影響を及ぼしております。従って、皆さんは子どもたちと円満な関係を維持しなければならないのです。




第三、健康に関心を持ちなさい。

第3番目に、皆さんの人生の優先順位は何でしょうか。健康に関心をもって新年1年を生きて行かなければなりません。お金を失ったら「少し」失ったことであり、名誉を失ったら「半分」を失ったことであり、健康を失ったら「全部」を失ったことになります。人生の成功と幸福の基礎が健康です。しかし健康は、健康なときに守らなければなりません。病気に罹ったあとに後悔せず、健康なときに健康を守ったらいつも健康に暮らすことができるのです。

世界的「長寿村」に行ってその特徴を三つ発見したと言います。第1は、一日3回小食をすることです。腹いっぱいに食べず、いっぱいになる前に匙を置かなければなりません。第2は、勤勉に働くことです。常に身体を動かして活動しなければならないと言うことです。そして第3は、睦まじい家族関係を維持することだと言います。この三つの条件が長寿する人たちの全般的な秘訣だと言います。

皆さん、ですから新年には健康であるために私たちは節制する生活をして行かなければなりません。私たちクリスチャンは、お酒、タバコ、無秩序な生活を営んではなりません。私のところに肝臓病に罹って祈って貰うために来る大多数の人たちに聞いて見たら、過去に日常的にお酒を飲んだと言います。肝硬化症や肝臓ガンに罹ってくる人たちは、毎日お酒を飲んだ人たちです。そのような人たちは結果的にお酒と言う毒蛇に噛まれて凄絶な苦痛の目に会うようになるのです。

記録されています。韓国人の飲酒量は世界第2位だと言われています。そのお酒もそのまま飲むのではなくて「爆弾酒」を作って飲むと言います。ビールにウィスキーを混ぜて一気に飲み干すのが「爆弾酒」であると言います。これでは身体が保てません。肝臓に無理が影響して損傷され、神経障害が起こり、ガンが生じて、後には甚だしい苦痛に会うようになるのです。

ある人は、「聖書にはタバコを吸うな、と記録されている部分がないのに、何故しきりにタバコを吸うなと言うのですか?」と言います。その当時はタバコがなかったので吸わなかったのです。皆さん、タバコの中にはニコチンと言う猛毒性発ガン物質があります。タバコ1本分のニコチンを蛙に注射したところ、1匹も残らず死んだと言います。そのような猛毒をタバコを通して肝臓や肺臓のなかに注入しているのです。これは自殺も同様な行為です。タバコを吸う人は自ら志願して自殺しているのです。

肺ガン患者の90%、喉頭ガン患者の95%がタバコを吸うことによって罹ると言われています。はじめから肺ガンを注文して、喉頭ガンを準備しておいてタバコを吸うのだとも言える行為です。韓国の有名な芸能人が肺ガンで死ぬ直前に、「タバコを吸ってはいけません。毒です。」と言いました。タバコは、人間の寿命を短縮させます。タバコを吸う女性の場合、11%が子どもを生むことができないと言われています。ですから、若しも皆さんの中でまだタバコを止められないでいる方がおられたら、よく聞いてください。そういう方は、ご自分の命をタバコの煙といっしょに空中に吹き飛ばしているのです。ですから私たちは、私たちの健康のために節制する生活を営まなければなりません。お酒、タバコ、無秩序な生活習慣を捨てなければなりません。

こんにち、社会の非道徳的な放縦は、不倫を主題としたTVや映画を通して流行っています。昨年の離婚率は10組のうち4組です。OECD国家中第3位を占めています。その反面、出産率は1.3%に減ったと言われています。それだけ韓国の家庭が不安だと言うのです。

「コリント人への手紙 第一 3章16節〜17節」に、『あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。』と記録されています。ですから、私たちがもっとも幸福に暮らすことができる道は、私たちが義の道に歩み、真実に、そして聖なる生活を営むことです。それが私たちに苦しみや悩みをもたらすものではなく、もっとも平安に、幸福に暮らすことができる道なのです。

健康は、毎日を形式的に安住するといってたもたれるものではありません。健康を得るためには努力しなければなりません。正しい食生活をしなければなりません。過食することなく、肉類をふんだんに食べてコレストロール値が高くなり動脈硬化症を起こすことがなく…等々、食生活が正しくなければなりません。菜食もする、小食するなど、気を使わなければならないのです。

無秩序な生活、朝は遅くまで眠る、夜は夜更かししながらお酒を飲む、疲れるまで遊びまわる…、このような無秩序な生活が、神様が造って下さった肉体の健康を害するのです。そうした後には主日も聖く守りません。神様は六日間働いて七日目には休むように造っておかれたのに、無秩序な生活を営んでは健康を得ることができません。正しい食生活、適当な運動、清潔な生活をする、このような努力がなかったら私たちは健康も長寿も得ることはできません。

「テサロニケ人への手紙 第一 5章23節」に、『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』と記録されています。

神様は、主がご降臨なさる日に、健康な皆さんを見たいと願っておられます。病気に罹って死んで行く皆さんを迎えるようになることを願われません。霊も心も身体もすべて健康である皆さんに会いたいと願っておられるのです。ですから皆さん、新年には注意して、過度なストレスや過労やどん欲を避けましょう。過度なストレスを受けたら、このようなものが皆さんに高血圧とか糖尿病とか動脈硬化症とかに罹るようにするのです。

そして過労してはいけません。生きて働かなければなりません。ですから過労だと思われれば中止して休むことです。私もたまには過労します。しかし今年度には過労しないように注意しようと決心しています。貪欲を捨てなければなりません。分際にふさわしく暮らさなければなりません。

「マタイの福音書 6章25節」に、『だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。』と記録されています。身体と命が、食べる、飲む、着ることより大切ですから、先ず健康を第1としなさい、と言うことです。

そして、いつも心の平安を維持するように努力してください。皆さん、心の平安をもっとも乱すのが憎悪と嫉妬です。いくら憎み、嫉妬しても相手は害を受けません。憎悪する自分の心がストレスを受け、また色々な悪いホルモンが分泌されるのです。憎悪し、嫉妬したら、自分の心が傷を受けます。相手は何の傷も受けません。

「エペソ人への手紙 4章32節」に、『お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。』と記録されています。また「箴言17章22節」には、『陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。』と記録されています。

人は憎悪し、嫉妬したら、そこで生じる色々な有害酸素、或いは悪いホルモンが骨を枯らします。骨が枯れたら血が涸れます。血が涸れたら人は死にます。ですから皆さん、心の平安が健康を維持させるのにどんなに重要なのか知れません。それで、神様の御前に出て来ていつも疲れと重荷を主に委ね、憎い人がいたら主にあって赦してしまい、嫉妬心をすべて捨ててしまって、平安を維持しなければなりません。これが、皆さんが生きる道です。獰猛な動物であるほど寿命が短いのです。亀は180年を生きるのに、虎は20年しか生きられません。草食動物である牛や馬は平均寿命が50年であると言われています。しかし性質が荒く乱暴な肉食動物は寿命も短いのです。

皆さんが怒りを発したり憎悪すると言うことは、自分の寿命を短縮させる結果を生みます。自分の身体に色々な疾病を起こさせます。それで新年には、心に平安を維持するように努力する皆さんとなりますよう、祈願します。




第四、職業と事業

第4番目に、皆さん、新年の生活の優先順位は職業と事業です。神様が第1であり、家庭が第2であり、第3は健康であり、第4番目が職業であり、事業です。皆さんのお仕事の順序をそのように定めなければなりません。そうしてこそ正しく暮らすことができます。

私たちの職業と事業にあっては、私たちは神様のしもべであり、管理者である、と言うことを知らなければなりません。神様が私たちに職業上の階級を与えてくださるのです。「ペテロの手紙 第一 4章10節」に、『それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。』と記録されています。

皆さん、職業とは単純に生計の方便だけではありません。勿論、職業を通して私たちは食って行きます。「テサロニケ人への手紙 第二 3章10節」に、『私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。』と記録されています。職業を通して神様が私たちに「日用の糧」を与えてくださるのですから、私たちは職場に忠実でなければなりません。

そして職場と言うところが、未来の夢を育むのです。私は医者になる、弁護士になる、薬剤師になる、と言う夢があるではありませんか。これは職業を通して自分の夢を成就するのですから、職業とは非常に重要なものなのです。

また、夢が実現するとき、自己満足と成就感があります。「あー、私が人生を生きる甲斐がある。」「私の夢が成就したので大満足だ。」職業があってこそそのようになるのです。「コロサイ人への手紙 3章17節」に、『あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。』と記録されています。私たちが職業を通して夢が成就したとき、本当に神様に感謝しながら生きて行くことができるのです。

皆さん、この新年には皆さん各々に主が備えて置かれた能力を、職業や事業を通して祝福してくださることと信じます。

天国に、今すぐ到着したばかりの人がおりました。彼は天使の案内を受けながら、あっちこっちと不思議と好奇心に捉われて見て回る途中、大きな部屋に入って見ました。見ると、大きな棚の上に数多い荷物が積まれてあるので、天使にたずねました。「一体、この数多い荷物は何ですか?」すると天使が、「この荷物たちはみな、神様が各々の人たちのために予め準備しておいたものですが、人たちが全然求めず、探して持って行かなかったので貰えなかった能力と祝福たちです。」と説明しました。

聖書に、『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。』と言われました。ですから皆さんが、職業も求め、職場も求め、能力も求めてください。神様は皆さんに必ず与えて、皆さんが生計も立てて行き、未来の夢も育み、自己成就もすることができるようにしてくださる神様なのです。

人は職業があってこそ、人生の意味を発見することができます。皆さん、人が人に会うとき名刺を差し出します。これが「私です。」と言う意味です。しかし職業がなかったら差し出す名刺がありません。人は自分の存在を失ってしまうのです。人は、自分が相手に会って名刺を差し出すとき、「私はこう言う者です。」と自分を紹介することができます。そうするとき、自分の身分がはっきりし、自分の存在がはっきりするようになります。

しかし職場を退職されたとか、職場を失ってしまった後には、差し出すべき名刺がありませんので、人たちは自分の存在性を失ってしまい、人生の意味を失うと言うことです。それで職業や職場と言うのは、自分の人生の意味を発見するようにし、自分の存在を確認させてくれるのです。自分が父親として、家長として、社会人として、自分の立場を確認させてくれるので私たちに職場は本当に必要なのです。

それで「コロサイ人への手紙 3章23節〜24節」に、『3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。』と記されているのです。

私たちは、職場を通して主に仕えているのです。ですから神様に正しく仕えることができるように、私たちの能力に適合する職業と事業を神様に求める皆さんとなりますよう、主の御名によって祈願いたします。





第五、趣味と余暇

最後に皆さん、新年には趣味と余暇を楽しみながら暮らさなければなりません。趣味と余暇は最後の順位になりますが、これも必ずなければならないものです。個人的な趣味は人生に「油を差す」役割をします。人が趣味を追求するとき、人生に「油を差す」のです。

「あー、何の趣味もありません。」「私はTVやインターネットを趣味にしております…。」これはこの頃少し危険です。TVやインターネット中毒は趣味ではなく病気です。インターネット中毒及びその後遺症は現在61.8%に及ぶと言われており、夫婦間の不和の原因として浮上しながら青少年まで脅かす家庭破壊犯となっています。小学校に通っている子どもを持っている父母たちは、82%が淫乱及び暴力サイトの故に頭を悩ましている、と言われています。それは趣味ではありません。

インターネット・サイトに酔って、夜昼それに夢中になって暮らしてはいけません。皆さん、趣味と言うものは、自分だけでなく家族たちと一緒に楽しむものでなければなりません。音楽も共に聞き、絵も共に描き、旅行も共に行く等、趣味は多様なものです。趣味は自分の生涯に油を注ぐことができ、自分を新しく創造するものです。個人や家族が持つ余暇は、レクリエーションが本当に良いです。人生を再充満してくれます。

「伝道者の書 2章23節〜24節」に、『その一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。』と記録されています。

健全な楽しみがなければなりません。自分個人も何か特別な楽しみがなければならず、家族たちと一緒に余暇を楽しむようにしなければなりません。これが私たちの生涯を恍惚にし、力を再充満しながら生きて行けるようにするのです。毎日毎晩見つめ合う夫婦、いつも共に暮らす父母と子どもたち、その中に新しい生気を吹き込むのが趣味と余暇なのです。

私が申し上げたことは、人生の優先順位の標本を皆さんにお見せして差し上げたものです。第1に、神の国とその義とを先ず第一に求めなさい。第2に、家庭と家族を考えなさい。第3、健康に関心を持ちなさい。第4、職業と事業に従事しなさい。第5、趣味と余暇を楽しみなさい、と言うことです。

「コリント人への手紙 第二 9章 8節」に、『神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。』と記録されています。

私たちが、たましいが幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康で、いのちを得るにしても豊かに得ながら幸福に生きるためには、人生の優先順位を確実に定めておいて、毎日のようにその優先順位を読み、自分が人生の優先順位に従って生きているか、そうでないかをチェックしながら生きて行くとき、皆さんの人生に意味があり、価値があり、そして成功的な人生を生きるようになるのです。




お祈り

聖く、愛であられる、我が父なる神様! 私たちは人生を混沌の中で暮らすときが多いです。先にすべきことを後にし、後にすべきことを先にして、生活が本当に乱れ勝ちであり、個人と家庭も不幸で、人たちとの間でも互いに軋轢と争いが生じてしまいます。

全知全能であられる天のお父さま! 私たちが確実に優先順位を定めておいて、整理整頓された生活を営むことによって幸福に暮らして行けるように、そしてまた、神様に栄光を帰しながら生きて行くように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。