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「目に見えない大敵」
 






■聖書箇所

ペテロの手紙 第一 5章 8節〜9節」
5: 8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

5: 9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。




今日、私は皆さんたちとご一緒に『目に見えない大敵』という題目で、お恵みを分かち合いたいと思います。

 悪魔は霊的存在です。私たちがいくら目を洗って見ても、肉の目には見えません。悪魔が人間に現れるためには、その人間の考えを通すとか、或いは動物や人を通して現れます。悪魔は私たちの大敵なのです。イエス様は悪魔を盗賊だと言われました。「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」と言われたのです。ですから私たちはいつも、私たちに敵対する人たちの背後に霊的存在である悪魔がいることをはっきりと知って、相手の人間と争わずに、その背後にある悪魔と霊的戦争をしなければなりません。





第一、悪魔が使用する道具

第1番目に、私たちは悪魔が使用する道具が何であるかを考えてみなければなりません。アダムとエバを堕落させた悪魔の道具は、蛇でありました。悪魔は霊的存在ですので、自分で現れて直接に物を言うことができません。それで、神様が造られたもっとも知恵があり、そして美しい蛇を身に着て現れたのです。

「創世記 3章 1節」に、『さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」』と記されています。蛇が直接に語ったのではありません。悪魔が蛇を着て現れたのです。

「創世記 3章 4節〜5節」を見ますと、『しかし、園の中央にある木の実について、神は、「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。」と仰せになりました。 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」』と記録されています。悪魔がアダムやエバを捕えて、強制的に口を開けさせて善悪の知識の木の実を食べさせたのではありません。悪魔はそんなにしないのです。とても優しく、人なつこく近づいて来て、詭計でもって狡猾に誘惑し、自ら手を伸ばしてその木の実を取って食べるようにしたのです。

ここで私たちは、肉体的存在である人間と1対1で話し合うために悪魔が蛇を通して近づいて来たことを知ることができます。聖書を見ますと、カインがアベルを殺しました。私たちが見るときには、「あ〜、兄さんであるカインが、弟であるアベルを殺したのだ。」と思いがちですが、聖書には、その背後の勢力に関して確かに記録しています。

「ヨハネの手紙 第一 3章10節〜12節」に、『そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。』と記録されています。

カインが弟を殺したのは、彼が悪い者に属していたからだと言うのです。悪い者とは何でしょうか。悪い者は悪魔なのです。悪魔に属していて、悪魔に唆されて弟を殺したのです。ですから、カインが弟アベルを妬み、憤怒して殺したのは、その背後には実に悪魔の衝動があったということを聖書は明らかにしています。不義の背後には悪魔がおります。この世に不義と不正と腐敗が横行していますが、その背後にはいつも、悪魔がうずくまって居ると言うことを知らなければなりません。

「ヨハネの手紙 第一 3章 8節」に、『罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』と記録されています。罪はまさに悪魔のマスクです。悪魔は罪をマスクとしてかぶって私たちに近づいて来ます。ですから、罪をそのまま罪として見てはいけません。罪は、霊的な悪魔が現れた現象なのです。

したがって、罪を罪として扱って、それをいくら無くそうとしてもそれは無くなりません。それは、家の中にある蜘蛛の巣をいくら払い除いても、蜘蛛を捕えて捨てない限りは、蜘蛛はまた巣を作るのです。右側にある蜘蛛の巣を払い除いても、左側にいって巣を作り、それを払い除いたら今度は後ろにいって巣を作り、それを取り除いたら、また前の方にいって蜘蛛が巣を作るように、罪を私たちがいくら清めようとしても、悪魔がいる以上はいつも罪を犯すようになるのです。

「ヨハネの手紙 第一 3章 4節」に、『罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。』と記録されています。不法を行ない、罪を犯すようにする悪魔の働きは、いつも私たちの中に存在するのです。

昔から‘人面獣心’という言葉があります。顔は人間でも心はけだもの同様である、ということです。これは、相手をののしって言う言葉です。実のところ、悪魔が人を捕えて行なわせる不義と醜悪と犯罪はけだものよりもはるかに酷いのです。けだものよりも凄く邪悪で凶悪なのです。

去る4日の毎日経済新聞に載っている記事を見ますと、競馬に狂った父親が、実の息子を500万ウオンで売り飛ばし、そのお金までも競馬でみんな棒に振ってしまったと言います。実の息子を売って、そのお金で競馬をする...、それは‘競馬の悪霊’が入ったからなのです。気が狂っても普通に狂ったのではありません。

同じ日付の済州日報には、40代の男性が姪を9歳のときから4年間も性暴行をし、その妹も性暴行する途中に逮捕された、という記事が載っていました。それだけではなく、彼は、21歳の妻の姉の娘を去年から継続性醜行した嫌疑もあると言います。姪ら3人に性暴行を犯してきたのですから、けだものと同じです。普通の人ではそうする事ができません。それは‘淫乱の悪霊’が彼を捕らえていたのです。その悪霊にそそのかされて性犯罪を犯したのです。

去る1月2日のYTN記事によりますと、ひとりの未婚母が、分かれた男性との間で産んだ子供のために、現在会っている愛人との間に問題が起こることを心配して、アパートの廊下でその子供の首を締めて殺してしまいました。いくら誰が何と言っても、自分が生んだ子供の首を締めて殺したのですから、それはひどく悪い行動です。その悪はどこから来たのでしょうか。背後にいるサタンがそうするように操縦したのです。

いくらか前に、全国を騒がした連鎖殺人事件犯‘ユ・ヨンチョル’の場合も同様です。彼はお金とか貴重品には手もつけず、単純に憤りが理由でおよそ20余名の若い女性たちだけを殺害しました。凶器で指紋を消し、死体を輪切りにして彼は遺棄しました。話にならない凶悪犯罪です。けだものもそうはしません。それは悪魔化した人間の行為です。悪魔が、彼のマスクを被って盗み、殺し、滅亡させる働きをしたことを私たちは覗き知ることができるのです。

ですから、この世の悪は、その背後に敵悪魔が潜んでいると言うことを私たちは必ず知っていなければなりません。悪魔がいる以上は、いつもこのような事件が起こるようなるのです。

憎悪の背後にも、悪魔が潜んでいます。「ヨハネの手紙 第一 3章15節」に、『兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。』と記録されています。私たちは普通に、よく人を憎みます。しかし、その憎みのソースがどこから来るのでしょうか。神様は愛であられますので、愛のソースは神様から出ますが、サタンは憎みですので、大きな憎しみであろうが、小さな憎しみであろうが憎しみは、その根源が悪魔にあるのです。

或る姉妹さんが、私のところに信仰相談をするために来ました。夫と偶然に口争いをした後から、夫が嫌になり、言葉では表現ができないほどに憎くなったと言うことでありました。どんな感情が生じるかと言うと、会社への出勤途中に交通事故にでも遭って死んでしまったらよい…とまでに、憎くてたまらないと言うのでありました。「牧師さま、私の本当の気持ちはそうではありません。ところが、夫が交通事故にでも遭って死んでしまったら良い…と言うほどに、憎しみが生じるのです。これをどうした良いでしょうか…?」

それで私が、「姉妹さん、その憎悪は姉妹さんから出たものではありません。姉妹さんご自身を怨んではいけません。旦那さんと口争いをする隙間に、サタンが姉妹さんの心の中に入って来たのです。そして姉妹さんの心から旦那さんに対する憎悪を引き起こして、家庭が破綻するように画策しているのです。ですから姉妹さん自身も、旦那さんも、怨んではいけません。その原因である因子が背後に潜んでいるサタンですから、イエス・キリストの御名によって退かせ、離れ去るように断固として命じなければなりません。またイエス様の御名によって祈り、継続して姉妹さんの中にいる敵悪魔、旦那を憎むように画策している悪霊は退けっ!と、敵対しなければなりません。」と言ってあげました。

すると、その姉妹さんから連絡が来ました。「心から、旦那に対する憎しみが消えて春日和のように温和になり、夫を愛する心が新たに増し加わりました…。」悪魔に敵対し、主イエス様の御名によって祈り、追い出せば、そのような変化が起こるようになるのです。憎悪の背後にも、殺人の背後にも、サタンが潜んでいるのです。

「ヨハネの福音書 8章44節」に、『あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。』と記録されているのです。

悪魔は人殺しです。こんにち数多く引き起こされている殺人犯罪の背後には、悪魔の働きがあるのです。戦争が起こって無惨な殺人が敢行されるのも、指導者の心に殺人させる悪魔が入って行ったからなのです。

刑務所の看守を長らく勤めて引退した‘バク・ヒョウジン’長老様が書いた“神様が直せない人はいない”という本を、皆さん、読んだ方が多いと思います。その内容の中に、1995年、自分の一家族を殺害してひそかに埋葬した或る青年に関する話があります。彼の仮名は‘リ・ホソン’と言い、父親、母親、実兄とその嫁さん、甥ら5名をみな殺しにしてから、庭の隅にひそかに埋葬しました。

刑務所に入って来た彼の顔を見たところ、全く、そんな犯罪をしてのける人のようには見えなかったと言いました。‘バク’長老様は、長い間の看守生活をして来られたので、刑務所に入って来る人の目つきを見ただけで「これは、殺人犯だ。」「彼は強姦したのだ。」「この人は、刑務所を引っ切りなしに出入りしているのだ。」と、見抜くのだそうです。ところが、彼を見たところ間違いなく純真、そのものの青年であったそうです。目つきも羊のように温順で、顔つきも子供っぽく、とても人を5名も殺害してひそかに埋葬して捨てるほどの凶悪な犯罪人には見えなかったそうです。

それで或る日、彼を訪ねて行って、伝道を兼ねて「なぜ、殺人したのか?」と質問したところ、「殺人をする三日ほど前に、伝説に出てくるような白衣の女性が目の前に現れて、しきりに私に言い寄って来ました。昼も、夜も現れ、夢にも現れて、凄く不気味であった…。」と答えたと言います。「ところが或る日、父親にお小遣いをいただく為に父の部屋に入りましたが、父がいきなり怒り顔で‘何で、お金ばかり使おうとするんや?お前にあげるお金なんか、ないわ!’と怒られました。

所がその時、言い寄って来ていたいつもの悪霊みたいな白衣の女が現れて、“殺しなさい。靴箱の中に金槌があります。それを取って来て、お父さんを打ち殺しなさいっ!”その瞬間、私の心に憤怒が爆発して、私は靴箱のところに飛んで行き、金槌を取り出して来て、お父さんの頭に一発、殴りつけました。お母さんがそれを見て驚き、私に抱きついて止めようとしましたが、その白衣の女が“お母さんも打ち殺しなさいっ!”と言うので、お母さんも打ち殺しました。

“兄さんの部屋に行って、兄さんも、兄さんの嫁さんも、甥も、殺しなさいっ!”と言うので、駆けつけて行って兄さんも、兄さんの嫁さんも、幼い甥も金槌で打ち殺しました。すると、白衣の女が、“庭の隅を掘って、そこにみんな埋めてしまいなさいっ!”と言うので、私はその通りにしました。そうした後、気が付いてみたら、とんでもない事を仕出かした自分を発見しました。」と答えた、と言います。彼は、到底殺人をするような青年ではありませんでした。

ところがその後も、刑務所にいる彼にその白衣の幽霊がところ構わずに現れて、“家族を皆殺しにしたあなたが、生き残る道はないよ。自殺しなさいっ。”“自殺してしまいなさいっ!”と言うので、何度もその青年は自殺を図った、と言います。結局、長老様の伝道によって悪霊は青年から追い出され、青年は完全に新しく生まれて善良な人になり、「ハレルヤ!」と言いながら死刑の場に歩いて行った、と言います。皆さん、悪霊が入って来たら、その人はとんでもない人になってしまうのです。

いくらか前に、私のパソコンにメールを送ってくれた姉妹さんがおります。その内容を読んで私はびっくり驚いてしまいました。その姉妹さんは、私たちの教会の会員でしたが、メールの内容は証しでありました。旦那さんが出勤した後、家の中を掃除するために家の窓や門をすっかり開け放して掃除をし始めました。そこへ突然、20代後半か30代初の健康そうな男が入ってきてから、姉妹さんの口をふさぎ、ずるずる引っ張って部屋の中に入ってからは、‘お金出せ’と脅迫したと言います。

姉妹さんはとっさに「主よ。私を助けてください!」と大声を出しました。するとその強盗が、姉妹さんの髪の毛を掴んで頭を壁に容赦なく何度もぶつけました。気が遠くなりながら、姉妹さんの頭から鮮血が流れ出しました。そして倒れてしまいました。姉妹さんは全く気を失ってしまいはしませでした。姉妹さんの口から異言が出始めました。それは実に爆発的な異言であったと言います。

すると強盗が目を丸くしてから、いつの間にかおとなしくなり、凶悪な表情が消え去ったと言います。それから‘あ、血を流している。困ったな。どうしたら良いかな…、早く治療を受けなくちゃ…?’とうろたえ始め、‘交通費だけでも、少しくれませんか?’と要求したそうです。それで姉妹さんが、“お隣から借りなくちゃ、家にはお金がありませんよ。”と答えたところ、‘分かりました。警察に申告しちゃ、駄目ですよっ!’と言って、出て行ったと言います。その証しをの内容をメールで私に送ってきたのです。

強盗が家に押し入って来たのは、盗み、殺す心で入って来たのです。無慈悲に姉妹さんの髪の毛を掴んで頭を何度も壁にぶっつけ、血が流れるようにもしました。ところが、姉妹さんが爆発的な異言で祈りだすや、強盗の中の悪霊が制御されて逃げるようにその男が家から出て行ってしまいました。人間が凶悪になるのは、その人自身がそうなるのではありません。その背後に悪魔がいて、そうさせると言う事実を私たちは知らなければならないのです。

悪魔はイエス様を殺すために、イスカリオテ・ユダを使用しました。イスカリオテ・ユダの心に、イエス様を売るように指示しました。聖書「ヨハネの福音書 13章 2節」に、『夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、』と記録されています。悪魔がユダの心に悪い思いを注入したのです。

私たちは、いつも思いや考えを良く管理しなければなりません。なぜなら、管理を間違えたら悪魔の示唆を受けて、盗み、殺し、滅亡させることに加担する恐れがあるからです。従って、思いを立派に管理する私たちとなるためには、いつも神様の御言葉を口ずさみ、読み、御言葉の上に堅固に立って暮らさなければならないのです。そうしなかったら、いつの間にか悪魔の思いが入って来て凶悪なことに利用されるか知れないからです。





第二、私たちの格闘は血肉に対するものではありません。

第2番目に、聖書は私たちに、「私たちの格闘は血肉に対するものではない」と言われました。ここで‘血肉’と言われたのは、人を指しているのです。血と肉を持っている人と格闘するのではない...と言われたのです。この‘格闘’は、普通の争いや喧嘩を言うのではありません。‘戦争’のことを言うのです。即ち、私たちの‘格闘’は、人間に敵対して戦争するのではない、と言うことです。

レフィディムでアマレクと戦ったイスラエルの民たちをご覧ください。イスラエルの民たちが荒野を通ってきながら疲れ、困憊し、栄養失調にかかり、喉が渇いて、レフィディムで彼等は試練に会い、それでモーセに向かって反抗しました。しかし、モーセが岩を打って、岩から水が出るようにして飲ませました。そうする時に、彼らを襲撃して来たのがアマレクの軍隊です。アマレクは、イスラエルの民たちがカナンの地に入って来ることができないように、荒野で滅絶させようとしたのです。

イスラエルの民たちは疲れ、武装もできておらず、訓練もされていませんでしたので、アマレクに滅亡されるしかありませんでした。イスラエルの民たちはすばやくヨシュアを立てて幾人かを選ばせ、軍隊を編成してアマレクに対抗しようとして出て行きました。しかし相手になりませんでした。アマレクに押しに押されて後退しはじめ、数多いイスラエルの青年たちが戦死し、負傷者も続出しました。

ところが、モーセが戦場が見下ろされる丘の頂きに登り、戦場に向かって杖を持って両手を上げて神様に祈り始めました。すると、瞬く間にヨシュアとイスラエルの軍隊に凄い力が臨みました。イスラエルの民たちに一騎当千の力が臨み、アマレクは力が弱くなって、かよわい女性群のようになりました。瞬く間にイスラエルの民たちは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破りました。アマレクの軍隊は数多くの死者を出し、負傷者が目に見えて増えました。

モーセが、腕が痛くなったので手を降ろし、祈ることを中止しました。すると、イスラエルの軍隊から力が去り、アマレクの軍隊が士気衝天して破竹の勢いで攻め込んで来ました。イスラエルの軍隊がたじろぎながら後退しはじめました。再びモーセが手を上げて祈りました。するとイスラエル軍が勝ち、手を降ろすとイスラエル軍が負けました。後には、アロンとフルが各々モーセの上げた手を両方で支え、モーセが祈りを継続して捧げるや、アマレクの軍隊は完全に惨敗して逃げ去った、という事実が聖書に記録されています

戦争の時にも、実際に戦うのは人ですが、その背後では霊的戦争が行なわれていることを説明してくれているのです。神様の御使いたちとサタンの使者たちが霊的戦争をしているのですが、それが人間の肉体的戦争として現れるのです。サタンの使者たちはアマレクを通して戦っており、神様の御使いたちはイスラエルの民たちを通して戦っているのです。祈りがそこで重大な役割をしていることを私たちは知ることができるのです。

私は中央アメリカの北部にあるグアテマラの聖会に参加してメッセージを宣べたとき、‘カベレロス’牧師先生の証しを聞きました。その牧師先生は、市内の真ん中にある土地を買い入れて教会を建て始めました。ところがいくらも経たないうちの難関に逢着してしまいました。国家の経済状態が悪くなって、我が国のIMF時代のようになりました。それで銀行の金利は天井知らずに高くなり、柱を立て、屋根をようやく覆った状態で建築が中断され、牧師先生は何ヶ月間のあいだ苦しい中で断食しながら、徹夜しながら、神様のお助けを切に祈り求めました。

そうした或る日、牧師先生が祈っている中ではっと幻が現れました。長さ約10メートル、太さ約30センチほどの大きな蛇が、新築中の聖殿敷地にとぐろを巻いており、首をもたげて舌をチョロチョロとなめずっていた、と言います。その時、牧師先生は悟ったと言われました。「教会新築中に困難にぶつかったのは、この敷地の中にある蛇が反対しているからなのだ。これはサタンの仕業だ!」それで、イエス様の御名によってその悪魔を叱りつけ、全教会員が集まって悪魔を追い出す祈りを捧げたといいます。

そうするや、突然状況が変化されて、問題が解決され出しました。その聖殿の敷地を、買い入れ時の2倍を払うから売ってくれと言う人が現れました。それでその敷地を売って、12倍ももっと広い土地を買い入れ、聖く優雅な聖殿を建築し、教会学校も建てた、と言います。後で知ったことですが、その新築予定地は昔、マヤ族と言う原住民が住んでいたところですが、彼らは羽がある蛇を守護神として敬っていたと言い、そこが実はその神殿があった地点であったそうです。

皆さん、私たちに向かって対抗し妨害する勢力は、目には見えません。それらは霊的な存在であるからです。それらのうち一部が、人の姿で現れるか、または蛇の姿で現れるかして、私たちを盗み、殺し、滅亡させようとするのですから、私たちは毎日のように霊的戦争をしなければならないのです。悪魔に対抗して追い出してこそ、悪魔と一緒にすべての呪いも退いて行くようになるのです。私たちは、悪魔の世界を良く知っていなければなりません。悪魔の世界というのが、何かの伝説にでも出てくるような、そんな甘い世界ではありません。

「エペソ人への手紙 6章10節〜12節」を見ますと、『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』と記録されています。パウロ先生はここで、悪魔の正体を詳細に私たちに教えています。悪魔は策略をめぐらしているのです。悪魔は組織的に動いている、と言う事実を、私たちは見逃してはなりません。

イエス様も言われました。「マタイの福音書 12章26節」に、『もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。』と記録されています。悪魔には‘国’があるのです。国家に政府があり、大統領とか首相があるように、悪魔にも国があって、悪魔は暗闇の国の王様なのです。悪魔は自分の国で王様として策略をめぐらし、その下に権勢があって、長官とか大臣のような地位にある悪霊たちが悪魔の世界を支配し、悪を欲しいままにしているのです。悪霊たちは、そのような組織を作って活躍しているのです。

「ルカの福音書 4章 6節」を見ますと、『こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」』と記録されています。悪魔は、イエス様に、自分を拝んだら、自分の国の大臣の地位を与えようと提案したのです。王の王、主の主であられるイエス様にさえ、悪魔はこのようなとんでもないことを言うのが、悪魔の誘惑であり、悪魔の属性なのです。

また、悪魔はこの世の支配者であると共に、この世に色々な組織を持っております。国家に知事があり、市長があり、郡守、町長、村長があるのと同じく、サタンもそのような組織があって、個人の家庭にまでもサタンは自分の組織を浸透させて、熱心に組織管理をしているのです。「ヨハネの手紙 第一 5章19節」に、『...全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。』と言われています。全世界は悪い者、即ちこの世を支配している悪魔が主管している組織の中にあるのです。

「エペソ人への手紙 2章 2節」には、『そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。』と記録されています。

ですから皆さん、私たちが思っている事よりも事情がはるかに深刻なのです。悪魔は王様として座っており、その下に権勢を握っている長官とか大臣とかの位があり、その下には市町村は勿論、個人の家庭にまで組織が編成されていて全部を掌握し、悪の勢力で捕えて世俗に従い、神様には従わないようにしているだけでなく、益々もっと深い不幸に人々を引き入れようと凄い運動を展開しているのです。悪霊たちはとても組織的に働いているのです。

悪霊たちはまた、軍隊を率いています。軍隊を動員して、人間たちに総攻撃をして戦いを挑んでいるのです。「ヨハネの黙示録 12章 4節」に、『その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。』と記録されています。サタンが堕落したとき、天の御使い3分の1を共に堕落させて、サタンの軍隊として地上に投げ下ろしと言うのです

「ヨハネの黙示録 12章 9節」の御言葉です。『こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。』竜が追い出される時、彼の使い共も一緒にこの世に投げ落とされたと言われているのです。また「イザヤ書 24章21節」は、『その日、主は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。』と記録しています。

この人間世界の背後の勢力として、悪魔は素晴らしい組織を編成して綿密に、そして猛烈に私たちに近寄って来るのです。ですから私たちが、悪魔を甘く見てはなりません。神様に拠り頼み、イエス様の御名によって休まずに祈るとき、それを通して天の御使いたちが私たちを囲んで助けてくれるのです。私たちは孤独に独りでいるのではありません。神様は天軍・天使たちを私たちのところに遣わされて、私たちの為にみわざを働かせ、私たちの為に戦ってくださり、私たちを守って居られるのです。

聖書を見ますと、ペテロが、イエス様が十字架に架けられないように、引きとめようとしました。「マタイの福音書 16章22節〜23節」の御言葉です。『するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」』主が、もっとも愛される兄弟子格のペテロに向かって「下がれ。サタン。」と言われました。

ちょっと前に、主が「あなたがたは、わたしを誰だと言いますか?」と聞かれた時、ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えました。それを聞かれた主は、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」と言われながら、ペテロを褒められました。それからいくらも経たずに、イエス様がエルサレムに上って行かれて、十字架に架けられて死なれることをお話しされた時、ペテロが諌めながら「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と言った時、主が「下がれ。サタン。」と一喝なさいました。

瞬間的に、人の思いの中にサタンが入って行ったのです。そして「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と、主が言われました。ペテロは、人間として主を思う心から言ったと思ったはずです。しかし、それは人間としてのペテロの思いではなく、サタンの示唆によるものであったのです。それで主は、「下がれ。サタン。」と言われたのです。瞬間的に人の思いの中にサタンは入って来るのです。私たちはそれを知りません。しかし主は、その事の根源をはっきりとご存知なのです。

「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と、ペテロが大言壮語しました。しかし主は、「ルカの福音書 22章31節〜32節」を見ますと、『シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』と仰せられました。

主は既に、ご存知だったのです。その後、ペテロは「イエスを、私は知らない。」と三度も否認しました。サタンが入って来て、三度もイエスを私は知らない、とペテロが否認するようにし、遂にはペテロが挫折し、絶望するようにしたのです。しかし、ペテロが完全に倒れずに立ち直ることができたのは、主がペテロのために祈って下さったからなのです。

初代教会の時の、アナニヤとサッピラのお話しをご覧ください。夫アナニヤが妻サッピラと共に土地を売り、その代金の一部を隠して置いてから、ペテロのもとに来て‘代金全部を持って来ました’と言いました。聖霊に満たされたペテロが言いました。「使徒の働き 5章 3節〜4節」の御言葉です。『そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」』

嘘をつくのは、サタンが入って来て嘘をつくようにした、と言うのです。土地を売った代金の一部を持って来て、「一部だけ持って来ました。」と言っても良いのに、神様の前に来て「これが全部です。」と嘘をつくので、ペテロが「どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか?」と詰問したのです。ここで驚かざるを得ないのは、それは私たち人間の思いである、と考えるのですが、実際には悪魔の示唆によるものであると言う事実です。人間は悪魔の示唆に容易に陥るのです。

私たちが本当に神様の御言葉を勉強し、御言葉を頭の中に入れておき、御言葉に従って考えなかったら、自分も知らぬ間にサタンが入って来て、私たちを嫉妬、憤怒、高慢、自慢...このようなものでつまずき、倒れるようにすると言う事実を知っていなければなりません。私たちの思いや考えを、私たちがいつも監視しなければならないのです。サタンは凶悪な姿とか、脅迫、恐喝などで現れるのではなく、とても狡猾に、私たちの思いや考えを通して現われるのです。

ですから、私たちの思い、考えの背景や発端がどこから来るのか、深く省察し、祈らなければならなりません。御言葉を読み、祈らなければ、瞬く間に私たちの思いや感情をサタンが支配するようになるのです。クリスチャンたちがなぜ早天祈祷を捧げなければならず、毎日のように御言葉を読み、御言葉を口ずさまなければならないのか、と言いますと、祈りと御言葉を通して私たちは神様のお恵みの中で守っていただくことができるからなのです。

お祈りと御言葉から離れたら、いつ悪魔が入って来て、悪魔の詭計で私たちの心を生け捕りにするか分からないのです。





第三、悪魔に敵対しなさい。

第3番目に、聖書は、「悪魔に敵対しなさい。」と記録しています。私たちが悪魔に敵対するためには、悪魔の正体をはっきりと知っていなければなりません。

「コロサイ人への手紙 2章13節〜15節」に、『あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』と記録されています。

この御言葉は、主が十字架を通して私たちの罪を代わりに清算してくださり、私たちを罪に定める律法を十字架で廃止してしまわれ、その次に悪魔の国の武装を解除してしまわれた、と言うことです。悪魔は、キリストの十字架を通して武装が解除されてしまったのです。追い出されはしませんでしたが、彼らの武装は解除されたのです。それからは、武装が解除されたことを知らない私たちに、脅迫と恐喝で生け捕りにしようとしているのです。

「創世記 3章15節」に、『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。』と記録されています。「ヨハネの手紙 第一 3章 8節」には、『罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』と記録されています。ですから悪魔は武装が解除された存在であることを、私たちは認識していなければならないのです。悪魔は、狡猾な手段で私たちを生け捕りにしようとするのです。しかし、既に武装は解除された存在なのです。

悪魔の行為に関して、「ヨハネの福音書 10章10節」に『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。』と記録されています。悪魔は盗人なのです。私たちに近寄って来て、私たちの熱い信仰の熱情を盗んでいくのです。どのようにするのでしょうか。私たちがお互いに讒訴し、指差しあいながら試練に会うようにして、私たちの心の熱い信仰心を盗んでいきます。

聖書の「ヨブ記」をご覧ください。サタンが神様の前に来て立ち、ヨブを讒訴しました。ヨブが潔白で正しく、神様を恐れ、悪から遠ざかっていることを却って讒訴して、ヨブが試練に会うようにしたことを知ることができます。心の喜びも奪っていき、平安も盗み、信仰も、希望も、愛も、健康までも盗むサタンは、まさに盗賊の王であることを私たちは知らなければなりません。

「マタイの福音書 13章19節」に、『御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。』と記録されています。御言葉を聞いてからも、私たちが真理を悟ることができずに依然とした姿勢でいるのは、悪魔が素早く来て御言葉を悟ることができないように働きかけたからなのです。

心理学者‘デイビッド・A・シムヘンスン’は、「サタンが人間を誘惑するときに使用する方法は、至極心理学的である。」と言いました。まずサタンは、私たちの心の中に“自分に対する否定的な思考を注入する”と言うのです。「私は無能なのだ。私は何の値打もないんだ。」と、自己否定を誘発すると言うのです。サタンは人の自尊心を踏み躙り、希望を盗んでいくのです。それで人は、自分を何かゴミのように思うようになり、悪魔は継続してそう思うように示唆するのだと言います。

その次には、「私には将来がない。夢もない。」と思い込ませて、否定的な思考の人に作っていくのです。私は今後、何もできない…、私は絶望的な存在なのだ…と思うように仕向けます。そして悪魔は囁くのです。‘あなたは神の前で罪人なのだ。あなたには罪がどんなに多いか知らない。あなたは神から愛される資格がない。もう、見捨てられた人間なのだ…。’と、しきりに注入するのです。

それで、私はメッセージを通していつも強調しているのです。肯定的に、積極的に、創造的で生産的な人になって下さい、と。夢と希望を持ってください。否定的になって絶望せず、自分の将来を悲観せず、主の十字架の血潮に拠り頼み、罪を赦していただいた事を忘れないでください。罪意識に陥り、神様から見捨てられたと思わないでください...と。サタンの詭計に負けてはならないのです。サタンと言う名前の意味は、訴訟者、妨害者、偽りの父…なのです。

サタンが唆すことはみな、偽りです。サタンはいつも、神様の御前で私たちを讒訴しているのです。そして、悪魔は人を殺します。ここで殺すと言うことは、堕落させると言うことです。心に苦しみをもたらしては、心を殺し、挫折させ、絶望させ、恐怖を与えます。憎悪と嫉妬と放蕩をもたらしては、人の心も霊も死なせてしまいます。

「ヘブル人への手紙 2章14節〜15節」を見ますと、『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』と記録しています。

主は来られて、私たちの心に信仰、希望、愛、義、喜びを与えてくださいます。これらはすべて‘いのち’なのです。しかし悪魔は、私たちから信仰も奪い、希望も奪い、愛も、義も、喜びも奪って、その代わりに‘死’を与えようと画策するのです。生きていく希望を失わせ、生きていく勇気と力を奪ってしまうのが、悪魔の仕業なのです。

「ルカの福音書 21章34節」の御言葉です。『あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。』主の再臨の日に備えることができないように、人たちの信仰と、期待と、心を鈍らせるのが、悪魔の仕業です。

そして、サタンの終局的な目的は、人たちを滅亡させることです。滅亡は、完全に主から離れて堕落することです。サタンは、人たちが偶像を信奉するようにするとか、または無神論者になるようにするとか、人本主義者になるように絶え間なく働いているのです。最初には、イエス様を信じて立派に出発しますが、途中で悪魔に捕らわれて盗まれ、殺されて、滅亡の道に踏み込む人が少なくありません。他の神を拝み、人や偶像に仕え、無神論者とか、人本主義者になった人たちが多くあるのです。

「テモテへの手紙 第一 4章 1節」に、『しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。』と記録されています。ですから、私たちは悪魔に断固として敵対しなければならないのです。捨て置いてはいけません。黙っていたら、悪魔は離れていかないのです。

「ペテロの手紙 第一 5章 8節〜9節」に言われました。『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。』私たちは、悪魔に対して強く対抗し、敵対しなければならないのです。

「マタイの福音書 4章10節」に、『イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」』と記録されています。「サタンは、引き下がれ」と、私たちは主の御名によって立ち向かわなければなりません。

私たちが、具体的にどのように敵対しなければならないでしょうか。主が、「わたしの名によって悪霊を追い出す」と仰せられました。「マルコの福音書 16章17節〜18節」に、『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』と記録されているのです。

また「ヤコブの手紙 4章 7節」に、『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』と記録されています。悪魔が私たちの近くに来るとき、私たちはイエス・キリストの御名によって敵対しなければなりません。悪魔は、イエス・キリストの御名を恐れます。イエス・キリストの御名の前で、悪魔は震えるのです。

何故かと言えば、イエス様が十字架で悪魔のすべての武装を解除し、イエス様が私たちイエス様を信じる人たちに、その御名を使用する権利を与えてくださったからです。皆さんと私は、イエス・キリストの御名によって代理権を行使することができる権利を与えられているのです。私たちは、この世の中でイエス様を代理して、悪魔を追い出す権利を行使することができるのです。それは、「わたしの名によって悪霊を追い出しなさい。」と、イエス様が代理権行使をする権限を私たちに与えてくださったからです。

私たちは、イエス様から権限を委譲していただいたのですから、堂々とイエス様の御名によって敵悪魔に立ち向かわなければならないのです。「ナザレのイエス様の御名によって命じる。お前たち、悪霊は退けっ!」「敵悪魔は、離れ去れっ!」絶えず悪魔を追い出さなければならないのです。

こんにち、クリスチャンたちの信仰がいつも生ぬるく、たやすく堕落する理由は、悪魔と妥協し、て、悪魔を追い出さないからです。私たちが考えているより以上に、悪魔が私たちを盗み、殺し、滅亡させようとしているのですから、私たちは絶え間なく、悪魔に立ち向かう生活をしなければなりません。

また、主の血潮と御言葉で悪魔に対抗しなければなりません。「ヨハネの黙示録 12章10節〜11節」に、『そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。』と記録されています。

イエス様の血潮を、悪魔はもっとも嫌がり、恐れます。イスラエルの民たちがエジプトから出てくる時、羊を屠ってその血をイスラエル人たちの家々の二本の門柱とかもいに塗りつけました。その時、死の使者がその家に入ることができませんでした。イエス・キリストの血潮を私たちの心の中に良くしまっておくと、悪魔がその血潮を見て逃げてしまうのです。ですから私たちが、イエス・キリストの血潮に拠り頼んで、イエス様の血潮によって命じる、敵悪魔は退けっ!と言ったら、悪魔は震え怯えて退いていくようになるのです。

そして、御言葉の上に堅固に立たなければなりません。御言葉は聖霊の剣です。御言葉は神様です。悪魔は偽りの父ですので、悪魔が罪に定めようとするとき、「私はイエス様の血潮によって救われたのだ!」と告白したら、悪魔は退き、離れ去るのです。病が入って来て私たちを苦しめるとき、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされたのだ!」と信仰告白をしたら、この御言葉が悪魔の偽りを暴いてしまって、病魔は逃げ去るようになるのです。

私たちが苦難の目に会うとき、「私は、主から祝福を受けた人なのだ。キリストは、私たちのために呪われたものとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださったので、私は律法の呪いから解放されたのだ。敵悪魔は離れ去れっ!」と告白しなければなりません。御言葉には、凄い力があります。私たちがイエス・キリストの御名と、血潮と、御言葉に拠り頼んで悪魔に立ち向かい、祈ったら、神様のみわざが現われるのです。

汚れた霊を追い出すことができずに、挫折した弟子たちに主が仰せられました。「マルコの福音書 9章28節〜29節」に、『イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」』と記録されています。

「マタイの福音書 21章22節」に、『あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。』と記録されているのです。私たちが祈るとき、祈りが弱いと思われたら、断食しながら祈らなければなりません。そうしたら、どのように凶悪で強い悪魔も追い出されるようになるのです。一般的な祈りで追い出されなかったら、断食しながら祈ってください。そうしたら、悪魔は一つの道から来て七つの道に逃げ去るようになります。

皆さん、私たちは皆、イエス様から権威を与えていただいた人たちです。「ルカの福音書 10章18節〜19節」に、『イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」』と言われたのです。皆さんは、主から権威が与えられているのです。

悪魔は‘力’でやって来ますが、皆さんは‘権威’を持っています。トラックは力で走りますが、警官はそれを権威でストップさせます。悪魔がいくら強いと言っても、主が皆さんに与えて下さった「新しく生まれた神様の子としての権威」は、どのような悪魔も退かせることができるのです。皆さんは、権威がある人たちです。皆さんは、イエス様の御名によって権威を委任されており、キリストの血潮に拠り頼んでおり、御言葉を持っており、祈ることができますから、悪魔に勝つことができるのです。

私たちは、私たちの周囲で起こる数多い苦難の背後には、それを操縦する悪魔がいると言う事実を悟ったことだけでも、既に彼らに勝ったのです。「あ、これは人や環境が悪い故にこうなったのではない。背後にこれを操縦する悪魔がいるのだ!」原因がわかったら、処方することができるのです。お医者が病気の原因を知ってから処方するように、私たちは、私たちに現われる試練、患難、苦痛の背後にサタンが隠れて操縦していることを知るようになりましたから、これに断固として立ち向かうことができるのです。

人でない悪魔が働くことには、人間の力ではなく、祈りと御言葉と主の血潮で敵対してこそ勝つことができるのです。そうしたら悪魔は遠くに離れ去ってしまうのです。蜘蛛がなくなったら、蜘蛛の巣もなくなります。同じように、悪魔が離れ去ってしまったところには、試練、患難、苦痛はなく、神様の愛と平安と喜びだけが満ち溢れるようになるのです。





お祈り

聖く、全知全能なる、我が父なる神様!

全世界は悪いものに属していますが、私たちは神様に属しております。全世界は悪霊に支配されていますが、私たちは聖霊に満たされています。

私たちは神様の御前で権威を授けられた者たちです。イエス・キリストの御名と、血潮と、御言葉と、聖霊さまの御力で敵悪魔を、私たち個人と家庭と社会と生活と事業と国家から追い出すことができるように助けてください。そして神様の平安が満ち溢れる私たちの人生となるようにみわざを働かしてください。

愛であられる、我が天のお父さま!

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、すべての苦難、患難、試練の背後にある、天の諸々の悪霊と、この世の暗闇の主管者であるサタンに立ち向かうことであることを、もっと強烈に悟るように助けてください。そして、いつも御言葉の上に立ち、祈りに励む私たちとなるように導いてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!