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「忘られようか、如何に我ら、この日を」
 






■聖書箇所

「ヨハネの黙示録 3章19節〜22節」
3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。
3:22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。





私は今日、皆さんと一緒に『あー、忘られようか、如何に我ら、この日を!』と言う題目で、お恵みの御言葉を分かち合いたいと思います。

1950年6月26日、月曜日の朝でありました。当時は中産階級の家でも、ラジオを持っていない家庭が少なくありませんでした。それで一般の人たちは、世の中のニュースに接するのはほとんどが1〜2日過ぎてからが常識でありました。新聞を購読する家も、そう多くはありません。私は、釜山にある“トンレェ(東莱)中学校”2年生でありました。

その日も、爽快な気持ちで学校の教室に入りました。私たちの教室は別館にあって、一方は茂った林になっており、様々な草木と花の香りが鼻腔にすがすがしい朝でありました。ところが、自分の机の前にある椅子に腰掛けるや、学校全体がどことなく落ち着きがないことに気がつきました。何事なんだ...?と聞いたところ、一人の級友が「今回は、本当に北朝鮮軍が侵略して来たそうだよ。」と言うのでありました。

それで私が、「もとから、38度線でお互いに紛争を起こしていたのだから、今度もそんなものじゃないのかな…?」と聞き返したのですが、もう一人の級友が、「…そうじゃない。昨日の未明に、北朝鮮軍がたくさんのタンクを動員して侵攻して来たそうだよ。ソ連製のヤーク戦闘機が金浦空港を襲撃し、北朝鮮軍のタンク部隊が既に“ウジョンブ(議政府・ソウル北部の近郊)”に突入したので、全国に非常警戒令が発令されたと言うんだ...!」と聞かせてくれました。

その日、学校では、校長先生が全校生を集めて「特別指示があるまで、学校は無期休学に入ります。」と言い渡しました。そうした後、軍人たちが学校を接収する、と付け加えました。私たちは授業も受けずに、いつ学校に戻ってくるようになるのかも知らないまま、各々家に帰りました。その日から、避難民たちがソウル及びその他の地方から釜山に…釜山にと避難して来ました。汽車の客車の屋根の上は勿論、無蓋車輌に溢れるまで蟻の群れのように避難民たちが乗って、命懸けで避難してくる場面は、今も瞼の裏に鮮明に残っています。

それから始まって3年1ヶ月の間、私たちは「6.25韓国戦争」という悲惨極まりない戦争の渦中に巻き込まれました。夢にもまたと思い出したくない記憶です。この戦争の結果、死亡、負傷、失踪、捕虜となった人命の被害だけでも、韓国軍と警察官が62万名、UN軍が15万名、韓国の民間人が99万名、北朝鮮と中国共産軍が200万名、北朝鮮の一般住民が150万名...、合計526万名にも及ぶ犠牲者があったと統計に現われています。

戦争孤児が10万名、戦争未亡人が30万名、拉致された難民が320万名、いわゆる「離散家族」は1,000万名余りが発生しました。その当時の惨状は、目で直接に見、経験した人でなければ、言葉で説明するだけでは理解することができません。今、私たちが住んでいるこの韓国の現実は、実に別天地であるとしか言うことができません。その時の避難生活の悲劇と苦痛に比べたら、今は、私たちは天国の上の天国に住んでいるのです。これこそ本当に別天地なのです。

釜山の避難民たちの当時の生活は、人間最大の悲劇でありました。病に罹って死に、餓えて死に、凍えて死に、疲れて死に、すべての人たちが死を目の前にしてその日、その日を生き延びました。またと、このような戦争が私たち韓国の歴史にあってはなりません。




第一、「6.25韓国戦争」は自業自得

今日、特に私たちが記憶しなければならないことは、「6.25韓国戦争」と言われるこの悲劇的な事件は、どこの誰をも恨むべきではありません。これこそ自業自得なのです。

私たちが予め準備し、目を醒ましていて、自分の力で対応することができなかったので招いた悲劇なのです。なぜかと言えば、私たちの韓国が強かったなら、このようなことは起こることがなかったのです。李朝末葉の頃の韓国の実情は、悲劇そのものでありました。無能な王朝と、腐敗した政治は、四色党派争いに日が暮れ、日が明けました。鎖国政策により、世界とは完全に分離され、無知の上に貧しい国民は、行き所を知らずにさ迷いました。その上に、政治争い、王朝内の暗闘はさらに激しくなっていきました。

「ルカの福音書 11章17節」に、『しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。」』と記録されている御言葉、その通りでありました。李朝末の無能な王室は、側近勢力のめくら政治に油を注ぎました。王室では、権力を利用して「天主教」を迫害し、無数の教徒たちを斬首して殺しました。その上に、貿易しようと開港を要求する外国の貿易船に発砲して、ますます鎖国政策を固めました。

もしも、その時、開港していたら、わが国が現代化して、日本の植民地にはならなかったでしょう。精一杯に国を閉ざしておいて、依然とした旧態のままで歳月が流れました。当時、日本は既に開国していて、外国の文物を受け入れ、日本が持っているのは鉄の船であり、大砲であり、現代式の武器でありました。ところが我が韓国は、木製の舟に、弓矢で武装し、馬や牛が引く車を乗り回していました。これでは 戦争ところではありません。国を守る事もできなかったのです。

その上に、内政的に政治勢力間の軋轢が顕著でありました。外敵の侵入は激しくなりました。朝廷では施政も統括もできなくなりました。国力は衰弱に衰弱を重ねていきました。全国至るところで民乱も起こりました。甚だしくは、軍隊が反乱も起こしました。民間では、革命を起こそうと画策する動きも現われました。それを鎮圧しようとして、日本軍を招きましたが、それは日本が韓国に駐屯する口実を与えてしまいました。そして、1910年、無力な韓国は、日本の圧力に膝をつき、遂に日本の植民地になってしまいました。

それから以後、36年間、植民地生活をするようになりました。国を失い、言語を失い、創氏改名を強いられ、徴兵の義務が課せられ、数々の労役に苦しみ、農産物は供出と名で奪われ、神社には参拝しなければならず、乙女たちは挺身隊と言う名前で狩り出されて日本軍の慰安婦に転落しました。このような悲劇は、韓国の歴史に深刻な傷痕を残しました。

我が国がそのように滅んだ理由は、私たちの政治が、私たちの指導者たちが、私たち国民が、国を強大且つ富強にすることができなかったからです。私たちが強かったら、隣国が私たちを見下げ、彼らの欲しいままにすることはできなかった筈です。しきりに他人の所為にせずに、自分を省みなければなりません。私たちの王朝と政治家たちの腐敗が極に達し、我が国が混乱しており、私たちが無知蒙昧だったので、隣国から侵略され、膝を屈してしまったのです。

1945年8月15日、私たちは解放されたと喜びましたが、私たち自分の力で解放されたのではなく、強大国連によって解放されたので、今度は強大国連が韓国を自由にし、私たちには自律権がありませんでした。米国とソ連が私たちを38度線で二分する勝手な真似を仕出かしました。自ら自由を勝ち取る力がない民族には、自由がありません。そして、韓国は冷戦の最前線に置かれるようになりました。その当時の世界は、資本主義と共産主義の激烈な闘争の場でありました。

その冷戦がもっとも間近に顔を見合わせているところが、私たち韓国の38度線でありました。スターリンは金日成を前方に立たせて、韓国を赤化させようとあらゆる努力を傾けました。数多いタンクと戦闘機と大砲を提供して、北朝鮮を武装させました。そうする間、韓国は混乱の絶頂に立っていました。

その当時、私は学生でありましたが、左翼と右翼の衝突は学校、社会団体、政治界を問わずに激突しており、民族は分裂され、労使葛藤は天をつく勢いでありました。国民は混沌した中で先を見ることができず、経済的苦痛は表現できるものではありませんでした。至るところに盗賊がはびこり、暴動の絶える時がありませんでした。そのような機会を金日成とスターリンが見逃すわけがありません。

米国とソ連の代理戦争として、1950年6月25日、韓国戦争が勃発したのです。韓国は、なんの準備もありませんでした。北朝鮮軍はソ連製のタンクと、完全武装した歩兵師団と機甲大部隊で編成され、中国共産軍とソ連軍との軍事協力のもとに奇襲して来ました。韓国軍はもろくも崩れてしまいました。抵抗らしい抵抗をしてみることもできずに瞬く間にソウルは陥落し、全国が北朝鮮軍に踏み躙られて、ただ洛東江(ナックトンガン)を中心に釜山市だけがやっと残りました。




第二、神様が守ってくださった韓国

しかし、私が振り返って見る時、神様が韓国を守ってくださいました。神様が私たちを守ってくださらなかったら、私たちが生き残ることは絶対にできなかった、と信じます。韓国が絶体絶命の危機に瀕しました。ところがその時、神様が介入して「6.25韓国戦争」の悲惨から私たち韓国国民を救い出してくださったのです。

‘トルーマン’米国大統領が、韓国戦争が起こったとの報告を聞くや、“UN安全保障理事会”にこの問題を上程しました。そこで、UN軍の韓国派遣が決定され、UN16カ国が韓国救援を目的に各々軍隊を韓国戦場に向けて送ることに決議しました。「詩篇118篇 7節」に、『主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。』と記録されています。

ニューヨークのUN本部では、安保理会議が召集されました。当時の常任理事国は、アメリカを筆頭にして5カ国でありました。この中でただの1カ国でも反対したら、UN軍の派遣は不可能です。ただの1カ国が反対しても、韓国は共産化してしまったのです。ところが、ソ連が反対することは火を見るよりも明らかです。ソ連がそそのかしたので、北朝鮮の金日成が韓国を侵略するようになったのです。ソ連の代表がUN安保理で、UN軍の韓国派遣を賛成する訳がありません。

韓国の運命は風前の灯でありました。その時、ソ連のUN駐在代表である‘ジェイコブ・マリク’が焦燥して足踏みしだしました。気が気でありませんでした。この事実を‘スターリン’に報告しなければならず、‘スターリン’の裁可を受けなければならないのですが、‘スターリン’と連絡が取れません。皆さん、神様のみわざをご覧ください。‘スターリン’が週末休暇で出発しながら、「一切、俺に電話してはならんぞ。俺はゆっくり休みたいのだ。帰って来るまで...。しかと申し付けたぞっ!」と、彼は補佐官たちに厳命を下して、休養地に向かったのでありました。

韓国では戦争が起こりました。UNでは韓国にUN救援軍を派遣しようとしています。ソ連が極力反対してこそ、UN軍派遣を阻止することができます。そのことで裁可を得ようとしているのですが、「絶対に、電話をするなっ!」と厳命されているので、連絡が取れません。もしも、その時、‘スターリン’との連絡が取れたら、「反対せよ。絶対拒否しなければならん!」と怒鳴られたでしょう。ところが‘スターリン’が、自分自ら「俺に、絶対、電話してはならん!俺はゆっくり週末を休みたいんだ!」と厳命したのです。韓国は、‘スターリン’の休暇のお陰で助かりました。

この歴史のアイロニーをご覧ください。「箴言 20章24節」に、『人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。』また「エレミヤ書 10章23節」には、次のように記録されています。『主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。』スターリンと毛澤東と金成日が画策して作品を作り、韓国を完全に共産化しようとしたのですが、その当事者の一人が休暇に行き、それでUN軍派遣を阻止することができなかったのです。 

その時、韓国の戦場で韓国軍は完全に支離滅裂してしまい、韓国はどこの誰も防御することのできない立場に置かれました。洛東江(ナクトンガン)までソ連製のタンクで武装した北朝鮮軍が攻め下りて来たので、釜山が今日陥落する、明日陥落する…、と言う危険にさらされました。釜山が陥落されたら、それは韓国の最後です。1時間後を予測することのできない熾烈な戦闘が展開されていました。

ところがその時、釜山市の市長官舎に居られた李承晩大統領が、釜山に避難して来ていたすべての牧師たちを、草梁(チョリャン)教会に緊急召集しました。そして、神様に祈ってください、と頼みました。「皆さん、私たちはもう、これ以上、避難するところがありません。行けるところは、釜山の海の中だけです。私とは親しいアメリカの‘マッカーサー’将軍がB-29爆撃機を送る、と約束してくれました。ところが今は8月です。梅雨期です。雨が降り続けたら爆撃機も無用のしろものになります。雨が降らないように、牧師先生たちが一斉に祈ってください…。」

それで牧師たちが当時の釜山では最大の草梁(チョリャン)教会に集まって、李承晩大統領の涙の頼みを聞き、10日間徹夜・断食しながら、神様に呼ばわり祈りました。その時、もしも牧師たちが集まって、10日間断食しながら、徹夜しながら祈らなかったら、韓国は存在しなかったでしょう。私は、当時中学生でありましたけれども、牧師たちが教会にいっぱい集まって祈ったお陰で、神様の御腕が動いたことを、私は体験しました。その年の8月、蒸し暑い夏に、1日も空に雲が浮かんだことがなかったのです。その年の8月は、雨どころかずーっと清明な空が續きました。

私は、一生涯の間そんなにたくさんの飛行機が空を飛んでくる光景を見たことがありません。朝晩、空が真っ暗いほどに爆撃機や戦闘機が飛んで来ました。投下された爆弾の炸裂する音、空中から機銃掃射する音…、釜山にいる私たちの耳にも生々しく聞こえてきました。そのような空からの物凄い攻撃によって、タンクを先頭にした北朝鮮軍の部隊と彼らの陣地が焦土化されたのです。もしも万一、その時UN軍の介入がなく、空からの恐ろしい爆撃がなかったら、韓国はそのまま共産軍の手中に入ってしまったはずです。これが、神様の奇跡なのです。韓国を、神様が守ってくださったのです。

そして、神様を畏敬し、神様に祈る‘マッカーサー’将軍が相次いで仁川上陸作戦を開始し、インチョン(仁川)から韓国の中間部分を東から西へと掌握、韓国のほとんど全部の都市を陥落させ、占領しながら南下して来た北朝鮮軍の腰を切断しました。北朝鮮軍は南と北に断絶され、補給路を失い、南下しながら無慈悲に攻め下ってきた北朝鮮軍はついに袋のネズミとなってしまいました。ここで共産軍は敗走し始め、UN軍と韓国軍は北に進撃して、韓国半島の北端にある鴨緑江(アブノッカン)まで攻め上りましたが、突然中国共産軍が大挙介入、彼らの人海戦術に押し捲られてUN軍と韓国軍はその時から敗退し、今の休戦線まで戻って来て、休戦条約を結んでしまいました。

「ヨエル書 2章12節〜13節」の御言葉です。『「しかし、今、――主の御告げ。――心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。』

韓国が災難に襲われた時、主のしもべ(牧師)たちが徹夜し、断食しながら、神様に身悶えして呼ばわり祈った結果、神様の御手が動いて私たちの大韓民国が破滅寸前で救い出され、こんにち、韓国に教会がこのように建てられ、聖徒さんたちの祈りを通して生きて居られる神様のみわざが働くようになったのです。

「ヨエル書 2章18節〜20節」をご覧ください。『主はご自分の地をねたむほど愛し、ご自分の民をあわれまれた。主は民に答えて仰せられた。「今、わたしは穀物と新しいぶどう酒と油とをあなたがたに送る。あなたがたは、それで満足する。わたしは、二度とあなたがたを、諸国の民の間で、そしりとしない。わたしは北から来るものを、あなたがたから遠ざけ、それを荒廃した砂漠の地へ追いやり、その前衛を東の海に、その後衛を西の海に追いやる。その悪臭が立ち上り、その腐ったにおいが立ち上る。主が大いなることをしたからだ。」』

神様が、北から来た大軍を遠ざけてくださいました。そうでなければ、人間の手でできることではありません。UN軍が派遣されて来たことから始めて、そして最後の瞬間にラクトンガン(洛東江)の橋頭堡で米国B−29爆撃機の恐ろしい攻撃によって、私たちの運命が最後の刹那に助かったのです。そしてUN軍のインチョン(仁川)上陸...と、このすべての絵のような作戦は神様が導いてくださったのです。歴史は人が動かすものではなく、神様が動かしてくださるものであり、神様の御手は祈る民たちによって動かされるのです。

このような「6・25韓国戦争」を顧みながら、私たちが忘れてはならないことがあります。




第三、忘れてはならない恵み

私たちに、「恩は水に刻み、恨みは石に刻む。」という諺があります。恩はすべて水に流してしまい、恨みだけを石に刻み込んでいるのです。私たちが、アメリカを筆頭とするUN軍から恩を着た事実を絶対に忘れてはなりません。アメリカと友邦諸国の軍事的、物質的支援がなかったら、私たちは生き残ることができなかったのです。皆さん、今の大多数の聖徒さんたちは「6・25韓国戦争」を体験していませんが、その戦争を身をもって体験した私のような年配の方たちは、当時を今も生々しく記憶しています。

釜山まで避難して来た人たちの生活とは、明日を予測することのできない、死を目の前にした生活でありました。食糧が極度に不足しました。食べ物がありません。居所のない避難民たちは山に洞窟を掘り、板で囲んで雨露をしのぎ、寒さに耐えました。数多くの人たちが飢え死にし、病気に罹って死に、凍えて死んで行きました。

ある日、私は学校へ行きながら、簡易食堂のそばの道端に倒れている45歳ほどの男性を見かけました。彼は腹がへっているようでありました。指先で道端の土をすくっては口に入れていました。その日、学校からの帰りに、その男の死体が汚れた古い茣蓙で被せられているのを見ました。当時、そのような光景を見るのは稀ではありませんでした。このような状況の中で大多数の韓国民が生き残ることができたのは、アメリカ人たちが援助してくれた食糧と衣服のおかげでありました。

その当時、メリケン粉やとうもろこしの粉がなかったら、韓国民は生存することができなかったのです。アメリカの国民たちが援助してくれた食糧、医薬品、衣服がなかっとしたら、韓国民は生き残ることができなかったはずです。

それに、アメリカという国が友邦として援助してくれていたので、韓国民には心理的拠り所と希望を持つことができました。その時、韓国人には、アメリカが天国であるかのように思われました。アメリカ人は天使であるかのように認識されました。彼らは数限りがない援助を私たちにほどこしてくれました。

最近、私はアメリカ・ニューヨークでの聖会に講師として招かれて行きました。ニューヨークの繁華街を静かに見回しながら歩きました。別に大したことがありません。昔は天国の街路でもあるかのように思われたそこの繁華街やビルが、別に感動も何も与えてくれませんでした。内心、おかしく思いました。皆さん、今は我らの韓国が良い生活、裕福で発展した文化の中で暮らしているので、アメリカの繁華街を歩いても、別に驚くべきことも羨ましいことも目に付きません。私たちの韓国が余りにも良い生活を営んでいるので、昔は天国でもあるかのように思えたアメリカの大都市の街も、今は普通に幾らでもある平凡な街に見えるようになったのです。

「6・25韓国戦争」以後、韓国がどんなに祝福されたのか想像することができません。韓国戦争中、そして韓国戦争が終わってから、韓国民たちはアメリカの援助のお蔭で飢え死にを免れました。特に、米軍キャンプの食堂で捨てる残飯は、有名でありました。“養豚用の雑煮”にしか用途がありませんが、それを当時は「クルクリジュ」と呼びました。直訳したら「豚のお粥」です。数多くの人たちがそれを食べて延命しました。それは、米軍たちの色々な食べ残りを捨てたものを集めて来ては、タバコの吸殻などを取り除いて、大きな釜やドラム缶で煮なおしたものです。当時の韓国人たちには唯一の栄養源であり、それを食べる人たちは舌鼓を打ちました。それでも食べなければ、皆飢え死にするしかなかったのです。

人間の生活ではありませんでした。調髪などは思いもよりません。風呂どころか飲み水も不足しました。大半の人たちが靴がないので裸足で過ごしました。それこそ民族的悲劇であったのです。ところが、そうした中でもアメリカという、お金持ちの友邦がいたので、彼らに寄り頼んで私たちは生命を維持することができました。そして、韓国再建の基本的援助はアメリカがしてくれました。

「8.15終戦」以後、アメリカは持続的に韓国を援助してくれました。アメリカの基礎的援助がなかったら、こんにち、私たちに今の生活があることはあり得なかった筈です。アメリカの援助があったからこそ、私たちが熱心に国を再建し、あらゆる努力を傾注して今の韓国になれたのです。今の若い国民は、自分たちの先代がいかに骨を削る苦しみを体験したか、どんなに涙を流しながら、飢えながら、国を再建したかを知らなければなりません。偶然に、こんにちのような韓国が存在するようになったのではありません。それまでには、数々の犠牲があったなのです。

今の時点で、私たちが必ず知らなければならないことは、今、誰が私たちの味方なのかを知らなければならないということです。こんにち、韓国人の大多数が「誰が、まことの私たちの味方であり、友邦なのか...?」を分別できずに混同状態に落ちいっています。危険な現実です。

北朝鮮ではしきりに、“私たちは同族同士だから、一つになって暮らして行こう。”と手招きしています。反面、私たちとは同盟を結んでいるアメリカとか西方国家たちは距離的に遠く離れているので、私たちは彼らを何かにつけて排斥している傾向があります。国民日報6月21日日付の論説を読んで、私は凄いショックを受けました。それは、「ひと塊になったら、死ぬ!」と言う題目の論説でありました。

北朝鮮の住民たちは、私たちと同じく笑ったり、悲しんだりします。私たちの周囲の普通の人たちと全く同じ人たちです。世界的冷戦構図が崩れ去ったあと、北朝鮮との交流が始まるや、人たちは異口同音に北朝鮮の住民をこのように表現し、南北関係を話す時には必ず引用される言葉です。

ところが、最近「南と北が一つになったら、死ぬ!」という本を出版した、ドイツの“ベルリン自由大学校”の韓国人・バク・サンジョ教授や、ソウル大学行政大学院の統一政策研究チームの教授たちが、統一ドイツの経験を土台に南北間の状況を考察する主張は、こうです。

「体制と理念を無視した漠然とした同族概念は、いかに空しいものか知れない。こんにち、東西ドイツの人たちは、統一に天文学的費用と努力を注ぎ込んだけれども、未だに同化され得ずに互いに非難し合いながら、“私たちは同じ民族ではない!”と、愚痴をこぼしている。同じく、韓国と北朝鮮は同じ民族である、という象徴だけが存在するだけであって、価値観とか体験など、何一つ共感するところがない。言語と外貌を除いたら、同じ点はどこからも発見することができない...。」

このような異質性を無視して、同じ民族であるから無条件に統一しなければならない、一つにならなければならない...という主張は、“一緒に死にましょう!”と言う話にしかなりません。皆さん、深刻な話です。「一つになれば生きる。分散したら死ぬ。」と言われていますが、今、韓国と北朝鮮が「団結して、一つになったら」みんな死んでしまいます。北朝鮮が同じ民族であり、従って同族であると言うことは歴史的事実ですが、現実はそうでないのです。

50年を超える歳月の間、お互いに違う体制の中で生きて来ました。考え方が違い、行動自体が違い、社会制度と憲法が違います。それで韓国と北朝鮮は、完全に異なる民族なのです。容貌とか言語が同類であるだけで、実際には利害関係も、思想も、完全に違います。誰が私たちの味方でしょうか。思想が違い、利害関係が違ったら、いくら同一民族で容貌が同じく、言語が同じくても、敵なのです。

最近は皆さん、血を分け合った兄弟同士でありながらも、相手を殺します。裁判を通してでも、勝とうとします。容貌が同じく、言語が同じくても、それだけで同族であるとは言えないのです。思想と利害関係が違ったら、同族としては通じないのです。こんにち実際に通じるのは、同盟が通じます。顔つきが違い、言葉が違うとしても、利害関係が同じく、思想が同じなので「共に暮らす」としたら、それがまことの同盟であり、友邦で、そして味方なのです。

同じ民族であるから、一緒に暮らしましょう、と言うのは虚構です。北朝鮮は韓国民を惑わすために、私たちは同族である、私たちは同胞なのだ、だから一つになって暮らそう...!だから、肥料を送ってくれ。お米を助けてくれ。お金を援助してくれ。協力してくれ...と言いながら近寄って来ます。しかし、そう言いながら一方の手はポケットに差し込んでいます。そのポケットには銃が隠されており、原子爆弾がひそんでいるのです。

北朝鮮は金日成以後、変化されたのがありません。彼らは、韓国を何とかして自分たちの体制の中に引き入れ、自分たちの手の中のものにしようとする身分不相応な欲情を放棄していないのです。状況が不利なときには笑みを浮かべながら近づいて来ます。状況が有利になったら獣の表情をして拳を握り、猛然と飛び掛って来ます。これが北朝鮮式共産主義の原理なのです。北朝鮮はいつも、韓国を盗み、殺し、滅亡させようと虎視眈々狙っているのです。

同族と同盟を分別しなければなりません。同盟と言うものは、皮膚の色が異なり、言葉が違っても、利害関係が同じく、思想が同じかったら、一緒に暮らし、一緒に死ぬことができるのです。北朝鮮でなくても、襤褸をまとい、飢えていたら、人類愛を発揮してお米も上げる、肥料も上げる、着物も、お金も上げることは良いことです。しかし私たちは、常日頃警戒しなければなりません。私たち自らが、またと「6.25韓国戦争」のような悲劇を迎えることがないように警戒を怠ってはならないのです。

北朝鮮が原子爆弾を保有するようになったら、韓国は彼らと共に滅亡します。何故か?北朝鮮が原子爆弾を保有したら、もちろん、現在彼らは持っていると言っていますが、そうしたら私たち韓国民は武装解除されてしまいます。原子爆弾の前に在来式武器は何の使い途もありません。韓国民は完全に北朝鮮の脅迫、恐喝の前に膝を屈めなければならず、彼らの言うとおりになるしかない、奴隷になってしまいます。

それに、北朝鮮が原子爆弾を保有するようになったら、日本がじっと黙っている訳がありません。隣国である日本が核武装をするようになったら、韓国は四方から挟撃に会うようになります。そして台湾も核武装をするようになるでしょうし、そうなったら皆さん、アメリカが黙っている筈がありません。アメリカは必ず北朝鮮を攻撃するようになります。そうなったら、南北は一緒に滅亡するようになります。北朝鮮の核保有は、民族を共に滅ぶようにする恐ろしい危険を伴うのです。

私たちが生きて行ける道は、私たちと利害関係が同じく、思想が同じく、それで同盟を結んでいるアメリカとの同盟関係を益々堅固にすることです。そうしてこそ私たちは安全であることができます。アメリカと縁が遠い関係になっては絶対にいけません。そうなったら、私たちは生き残ることができません。いつ、中国が私たちを助けてくれたでしょうか。5,000年という韓国の歴史の中で、私たちは数限りなく中国の侵略を受け、中国に朝貢を捧げ、中国から苦しめられました。ただの一度も、中国が私たちの真実な友邦であった時がなかったのです。

ところが今、私たちが駆け付けて行って中国にへつらうとして、中国が私たちの同盟国家になってくれることができるでしょうか。できない話です。いつも私たちを侵略してきた日本を、信頼することができるでしょうか...。私たちは、自ら自立することのできる力を持たなければなりません。ところが私たちには、自ら自衛することのできる力がありません。

誰がなんと言っても、韓国のために血を流し命を捨ててくれた、アメリカを筆頭とする西方諸国の友邦連が私たちの同盟国家なのです。誰が私たちの味方なのか、知らなければなりません。今の若い人たちは、公然と言っています。これ以上アメリカに依存してはならない。私たち民族同士で一つになろう...と、北朝鮮の宣伝に惑わされています。これは余りにも歯がゆい話しです。北朝鮮は羊の皮をかぶっている狼なのです。北朝鮮が羊の皮を脱ぎ去る日には、私たちの肉をしゃぶり、私たちの骨を噛み砕くでしょう。思想と利害関係が異なる民族は、私たちの味方ではないのです。

思想と利害関係が一致しなかったら、いくら同族であっても、私たちの味方ではないということを忘れてはならないのです。「6.25韓国戦争」当時、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、カナダ、ニュージーランド、フランス、フィリピン、トルコ、台湾、ギリシャ、南アフリカ共和国、ベルギー、ルクセンブルク、コロンビア、エチオピア、ノルウェイ...など、350,000名の軍人が韓国に来て私たちを助けてくれました。その中の154,881名が戦死しました。

この人たちは、韓国民が苦難に遭っている時、血を流しながら戦ってくれた友邦諸国の若い青年たちです。国民日報に載せられた記事によりますと、トルコの参戦勇士が言うには、「3ヶ月の間、軍靴を脱ぐこともできずに戦った。それで靴下が腐ったほどであったが、それでも韓国の共産化を防止しなければならない、という使命感から継続して戦った...。」と回顧していたそうです。いかに有り難いことでしょうか。

このような人たちが、私たちの同盟国の国民なのです。同族という関係よりも、同盟国という関係がより重要であることを知らなければなりません。私たちが間違った判断をしたら、大変な結果を招くようになります。私がこのような話をしたと言うことから、若い人たちが“骨髄の保守系老人輩が、時代遅れの主張をしている。”と、非難するかも知れません。そういうことを言われるとしても、年配の人が、しかも歴史を知っており、祖国の明日を見つめる目を持っている大多数の国民は、私の言うことに賛同してくれることと確信します。




第四、歴史的悲劇を防ぐためには

韓国は、歴史的悲劇を防ぐためには変化されなければなりません。まず、政治が新しく繰り広げられなければならないのです。政治が立派になされてこそ、国が助かります。李朝の末葉に、政治が混乱していたので国が弱くなり、外国の侵略が激しくなり、ついには日本に併呑されてしまいました。私たちには、夢と指導力のある政治家が必要です。夢がなく、指導力のない、それでいて党争にだけ熱心な政治家たちがあっては、我が国の将来には希望がありません。誰が私たちの指導者になろうと、夢と指導力を具備した人が指導者になってくれなければならないと言うことです。

政治指導者は、愛国・愛族の人になって貰いたいのです。自分の政治的派閥のために、政治を通して自分の利益だけをはかる政略的な人でない、心と思いを尽くして国と民族を心から愛する政治家たちが国民を導いて行かなければならないのです。不正腐敗がはびこる国になってはなりません。権力を握った人たちが、その権力を利用して自分の利益のために相互結託し、不正・腐敗を欲しいままにしたら、国民は気落ちし、国は滅びます。不義があるところに国家が栄える訳はなく、不正腐敗があるところに国民が熱心に働く意欲が生じる訳がないのです。

「ミカ書 6章 8節」に、『主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。』と言われているのです。

韓国の国民も、賢明にならなければなりません。祖国と民族を愛する国民にならなければならないのです。私の心に悩みの種となっている一つは、なぜに韓国の国民は、“全羅道”とか“慶尚道”とか、“老人”とか“若者”とかに分裂して争いあっているのか?国が滅んだら“全羅道”も“慶尚道”も“老人”も“若者”も何もありません。国が栄えるためには国民が賢くなって、互いに手と手を取り合い、協力しながら共に生きて行かなければならないのです。

なぜ、この小さい国土の中で、道(県)が分かれ合い、地域が分かれ合い、階層間、社会間で区別し合うのでしょうか。お互いのために愛し合い、慰め合い、協同する国民にならなければならないのです。「ピリピ人への手紙 2章 2節」に、『私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。』と記録されているのです。

富強の国を建設するためにも、私たちは互いに協力し合わなければなりません。我が国が富強の国となったら、国民である私たちが幸福に暮らせるだけではなく、海外に出ても「人間扱い」を受けるようになります。1960年代を前後した頃には、海外に出て行ったら韓国人は第三流人種で、人間扱いをして貰えませんでした。しかし今、私たちが外国に出て行ったらどこででも、韓国人だと見られたら認められ、優遇されます。韓国の製品が至るところに陳列されています。

富強な国にとならなければなりません。国が富強であってこそ、国民が立派な生活を営むようになるのです。そうなるためには、国民全体が手に手を取り合って、助け合いながら暮らさなければなりません。地域間、階層間、労使間に葛藤があってはなりません。この葛藤が国を滅ぼし、そうなったら私たち国民は得るものがなにもないのです。

私たちは、歴史の教訓を教わなければなりません。政治が腐敗し、まことの指導者がなく、国が混乱に落ち込み、互いに分裂していたので、我が国が日本の侵略を受け、中国からは篭絡され、ソ連からは踏み躙られ、「6・25韓国戦争」が起こり、あらゆるすべての悲しみと苦難の目に会いました。私たちが正しく立ち、私たちが強かったら、誰も私たちを無視したり甘く見たりすることができないのです。

何よりも、教会が韓国にはある、ということは大きな栄光です。なぜかと言えば、教会は、まさに神様が私たちと共に居られる、という証拠であるからです。教会が私たちの国にあると言うことは、神様が韓国民族をお捨てになることはないということを意味しているのです。今の世界の人たちは韓国を見るとき、教会を計算に入れません。韓国の政治・経済・教育・文化・軍事・産業だけを計算に入れます。重大な過ちを仕出かしているのです。

イエス様がベッサイダの荒野に行かれた時、男性だけ5,000名ですから、婦女子を合わせたら何万名になるか分かりません。その群集が夕暮れになって腹がひもじくなりました。その時、イエス様が弟子たちを呼び寄せて言われました。「群集に、何か食べ物を上げなさい。」ピリポが答えて言いました。「とても、食べさせることができません。」ピリポは、荒野を見ました。人数が多いのを見ました。パンを売るところがないのを見ました。

アンデレは、荒野も見、人数が多いのも見、パンを売るところがないのも見ましたが、しかし、その中にイエス様が居られるのを計算に入れました。イエス様が居られるのを見て、信じ、大麦のパン五つと小さい魚二匹を持って来たので、主が感謝を捧げてから、多くの群集に十分に食べさせ、その上に12のかごにいっぱい残るようになされたのです。

我が国の政治・経済・教育・文化・軍事・産業だけを見るべきではなく、これらが駄目になるとしても、その中に教会が正しく堅固に建っていたら、神様が共に居られるのですから、奇跡が起こるようになるのです。教会を計算に入れなければならないのです。韓国に、5万の教会と10万の主のしもべと1,200万の聖徒が居ると言うことは、神様が韓国の中に居られると言うことです。目には見えませんが神様が居られるのですから、神様が私たちのために奇跡を施されるのです。

「主が門を開くと誰も閉じる者がなく、主が門を閉じると誰も開く者がない。」と聖書に記録されています。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と、イエス様が言われました。従って、教会が聖霊で満たされ、リバイバルし、教会が光と塩になったら、国が栄えるようになるのです。

今の韓国は、「6・25韓国戦争」当時とは違います。その当時は、韓国の教会は微弱なものでありました。聖徒数も別に多くなく、力がありませんでした。しかし今は、国民の約3分の1がクリスチャンです。韓国のクリスチャン達の呼ばわり求める祈りを、神様が耳を傾けて聞いて居られるのです。昨日、「6・25韓国戦争」を記念すべく大学路に数万名の聖徒さんたちが集まって祈りました。これは、間違いなく神様の御手を動かしたことと信じます。

今まで私たちの韓国が滅びないのは、聖徒さんたちの祈りが天に届き、それが天に保存されているからです。その祈りの効果によって、私たちが今のような生活をしているのです。ですから、教会が光と塩にならなければならなりません。「マタイの福音書 5章13節〜14節」に、『あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。』と記録されているのです。

教会が社会の光となり、教会が道徳的な塩とならなければなりません。教会が祖国と民族のために絶えず神様に祈らなければならないのです。「歴代誌 第二 20章 9節」に、『もし、剣、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って──あなたの御名はこの宮にあるからです──私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます。』と記録されています。

ご覧ください。国に危機が押し迫り、疫病が襲い、飢饉や災難に見舞われる時でも、聖徒さんたちが教会に集まって悔い改め、呼ばわり求め祈ったら、神様が聞かれて救ってくださる、と言われたのです。神様が祝福してくださったら絶対に滅ぶことがありません。

「詩篇 91篇14節〜15節」に、『彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。』と言われました。私たちの教会が立ち上がって神様を愛したら、神様は私たちを助けてくださるのです。私たちが神様の御名を知っているので、神様は私たちと私たちの国を高く上げてくださるのです。

私たちは、神様の恵みよって不死鳥のように、「6.25韓国戦争」の後、廃墟の上にこんにちの韓国を建設することができました。その間、数多い政治、軍事、経済的危機を克服することができたのは、すべて神様の恵みによるのです。人間の力量でできたことではありません。「権力によらず、能力によらず、神様の霊によって...。」できたのです。

人間の力によっては、凄惨極まりない荒廃状態から、55年目に今のようになれることは絶対にできません。それでは、誰がこのようにしてくれたのでしょうか。神様が私たちを愛するあまり、このように国を立て直すことができるようにしてくださったのです。それは、世の終わりに際して私たちを祭司の国家にしてくださり、私たちを用いてアジアと世界の光となさるべく、みわざを働かせてくださったのです。

私たちが、「3・1運動」の時、悲劇的な状況に置かれてしまいました。その時、インドの詩聖・タゴールが一首の詩を書いて、韓国の国民に送ってくれました。「昔、アジアの黄金時代に燦爛たるともし火であったKorea。もう一度、そのともし火を照らす日には、Koreaは全世界の光となるであろう。」と詠じました。詩聖・タゴールが言ったように、もう一度、そのともし火が照らされるようになるということは、他でもありません。キリストの福音が全世界に宣べ伝えられるようになることを指します。

キリストの福音の光が全世界に照り輝くようにするために、神様が「6・25韓国戦争」の後の廃墟から私たちを救い出され、韓国を再建することができるようにしてくださったのです。従って私たちは、心を尽くし、思いを尽くし、いのちを尽くして、主である神様を愛し、神様の聖なる御名を高める神の民たちとならなければなりません。

それから私たちが、またと「6・25韓国戦争」のような民族的悲劇に会うことがないように、十分にいつも気をつけ、目を覚まして行動し、絶えず熱心に祈り、国を愛し、隣人を自分自身のように愛する、そして主の御言葉に忠実に聞き従う皆さんとなりますよう、主イエス様の御名によってお祈り申し上げます。






お祈り

全能であられる、われ等の父なる神様!

私たちが、人間としては滅亡するしかない立場にあった時、神様がみわざを働かせて救い出してくださり、こんにちのように立派に暮らせるようにしてくださったことは、実に奇跡であり、人間の想像を超越した神様の恵みによるものです。

主であられる、天のお父様!

神様が私たちを「6・25戦争」の中から救い出してくださったのは、神様が私たち韓国民を取り上げて用いられ、この地に主の御心がなされるがためであったことと信じます。どうか、思う通りにしてください。韓国にまたと「6・25戦争」のような悲劇が起こらないように助けてください。韓国を祭司の国家にしてくださって、世界万国にキリストの光を照らし輝かせることができるように導いてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!