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「ユ−ラクロンと言う暴風」
 






■聖書箇所

「使徒の働き 27章 9節〜25節」
27: 9 かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、
27:10 「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。
27:11 しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
27:12 また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
27:13 おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。
27:14 ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、
27:15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。
27:16 しかしクラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。
27:17 小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。
27:18 私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、
27:19 三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。
27:20 太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
27:21 だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。
27:22 しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
27:23 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、
27:24 こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
27:25 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。




1960年4月19日の学生革命後、自由党の政府が崩壊し、民主党政権が樹立された時、自由党政権の下で要職を任されていた一人の政治家が、小さな密航船に乗って日本に逃げて行ったという話を聞いた事があります。彼が乗ったその密航船が玄海灘で暴風と荒波に遭いました。山のような荒波と激しい暴風雨のためにその船は木の葉のように、前後左右に激しく揺れ動くので、彼は肝を抜かしてしまいました。死の恐怖に襲われて、彼は死を前にした獣(けもの)のように声をふりしぼって「助けて下さい!」と神様に祈り続けたそうです。そのような経験をした後は、彼は海辺には絶対に行かなかったと言います。




第一、洪水の上の御座に着かれた神様を仰ぎ見ましょう

パウロは、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」 (使徒の働き 27章10節)と忠告しました。多くの囚人を連れてロ−マまで護送して行く百人隊長ユリアスは、パウロの言う事と、船長や航海士達の主張のうち、どちらか一つを選ばなければならなくなりました。しかし百人隊長ユリアスは神様の啓示よりも、人間の経験と欲望の声を聞き入れました。この船長と航海士は、一日でも早くロ−マに着いて荷物を下ろし、お金を稼ぐべきであると、貪欲に捕らわれていたのです。百人隊長ユリアスは、船長と航海士の言葉を聞き入れ、パウロの言葉を無視して船を出帆させた後、巨大なユ−ラクロンと言う暴風に巻き込まれるようになりました。

私たちが人生を暮らしながら、人本主義と貪欲に従がえば、いつでも暴風雨に出遭うようになっています。それは、既定事実なのです。神様の御言葉を無視して、人本主義に従がい貪欲を追い求める政治家、事業家、労働者、国民たちは、暴風雨に向かって突進していくのと同じです。

「エレミヤ書 2章13節」は、『わたしの民は二つの悪を行った。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためる事のできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。』と記録しています。神様を見捨てて、神様の御言葉を捨てて、人本主義に頼って、人間の手段と方法で暮らして行こうとする人は、結果的に空しくなってしまうのです。

また「エレミヤ書 2章18節〜19節」を見ますと、『今、ナイル川の水を飲みにエジプトの道に向かうとは、いったいどうした事か。ユ−フラテス川の水を飲みにアッシリヤの道に向かうとは、いったいどうした事か。あなたの悪が、あなたを懲らし、あなたの背信が、あなたを責める。だから、知り、見極めよ。あなたが、あなたの神、主を捨てて、わたしを恐れないのは、どんなに悪く、苦々しい事かを。』−万軍の神、主の御告げ。−と証しされています。

我が国がこんにち、この巨大な暴風雨に出遭ったのは当然な事です。政治家たちの貪欲と見識不足、事業家たちの貪欲と無計画、そして労働者たちの集団利己主義、国民たちの分際を弁えない欲望・贄沢・無節制、このような放縦がユ−ラクロンと言う暴風に向かって、無鉄砲に突進させました。どこの誰も、自分以外には恨む相手がありません。誰にも責任を転嫁する事はできません。私たち国民全員が一つとなって貪欲の奴隷になり、神様の御言葉を捨てて、ユ−ラクロンという暴風に向かって突進してしまったのです。

百人隊長ユリアスが、パウロの「神様の啓示」による忠告は無視し、自分たちの利益だけにこだわる船長と航海士の主張を聞き入れて出帆させた結果、暴風雨に襲われました。そのように、こんにち、私たちがおこなっているすべての事にあって、私たちが欲望のさせるがままに決定し、追従して行けば、必ず暴風雨の中に落ち込むようになっているのです。私たちの心と考え方が貪欲に捕らわれたら、不正・腐敗を犯すようになり、偽りを言うようになり、世俗的になり、貪欲の奴隷になり、憎み、嫉み、憤怒を発し、傲慢になり、高ぶる者になって、結局は破綻に向かって突進して行きます。




第二、暴風・激浪に遭って生き残る為には、積み荷を捨てなければなりません

百人隊長ユリアスが乗った船は巨大な暴風雨に遭遇して、到底進む事も方向を操縦する事もできませんでした。「使徒の働き 27章18節〜19節」は、『私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積み荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。』と記録しています。

暴風雨に襲われて狼狽し、我を忘れ、船は押し流されていきますので、命を救うためには先ず、船に積み込まれている荷物、すなわち、貪欲の根源である積み荷をすべて捨て、また、備えられている船具までもことごとく海に投げ捨てて、それからは運命を天に任せて漂っていくしかありません。海で暴風雨と激浪に遭遇したら、生き残るためには積み荷を捨てなければなりません。暴風雨に遭ったのに、荷物を積んだままで行こうとすれば、船と共に沈没して死んでしまいます。

私たちも同様です。私たちの胸に抱いている貪欲の荷物をすべて捨てなければなりません。政治家たちは、今までの政治慣行を捨てなければなりません。政治的権力を振るって社会を自分勝手に動かし、国民の血税を意のままに使用する…、このような慣行を今回の暴風雨を通して永遠に捨てなければならないのです。

大手の事業家たちも、貪欲の荷物を捨てなければなりません。大手の事業家たちが貪欲のさせるがままに、自分では経営できない事業にまで手を伸ばして利をむさぼろうとする、このような悪癖を捨てなければ、韓国号は沈没します。労働者の集団利己主義も捨てなければなりません。限(きり)がない利己主義によって、自分たちの意見に合わなければ、集団行動を起こして対決して来た習慣を、海に投げ捨てなければなりません。祖国と民族の将来のために自制する事を知らなければならないのです。そうしてこそ、韓国号と言う船が沈没を免れるのです。

国民たちもまた、その間の生活意識や生活形態を果敢に捨てなければなりません。誰も彼もが、自分の既得権をそのまま占めていようとしては、皆が沈没してしまいます。

私たちはもう悔い改めなければなりません。悔い改めとは、過去を強く悔恨し、口に出して告白して、脱ぎ捨てる事を言うのです。神様がアブラハムを旅出させる時、『あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。』(創世記 12章 1節)と言われました。私たちが神様に従って行くためには、過去を脱ぎ捨てて出発しなければならないのです。これを機会に、神様は、我が民族が数千年の間犯してきた不正・腐敗をすべて脱ぎ捨てて、そして新しい覚悟と決心をして、神様に向かって出発しなさいと言っておられます。私たちを招いておられるのです。




第三、暴風の中を訪れて来られる神様

暴風の中で、パウロは神様の御言葉を伝えました。『昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」 ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。』(使徒の働き 27章23節〜25節) 真っ暗で星も月も太陽も見えず、激しく吹きまくる暴風雨だけが天地を震動させ、山のような荒波が襲いかかる中で、すべての人々は蒼白になって気力を失っていました。パウロだけが彼らの中に厳然と立って、このように叫んだのです。

このパウロの信仰告白は、こんにち私たちの信仰告白にならなければなりません。教会が立ち上がって、私たちが属している、そして私たちが仕えている神様の福音を私たちが宣べ伝え、揺るぐ事なく私たちが断固として立ち上がる事ができれば、韓国の信じない人々も私たちを見つめて、勇気と希望をもって主のもとに立ち返るようになります。ですから、困難であればあるほど、私たちは何処に属しているかを知らなければなりません。天と地のすべての権勢を持っておられ、この世に来られて私たちのために死なれてから、よみがえられ、天に昇られたイエス様に私たちは属しているのです。私たちはこの世に属しているのではなく、天国に属しているのです。

従って、世の中が絶対絶命の危機に瀕するとしても、私たちクリスチャンは絶対的な希望に属していなければなりません。たとえ私たちが乗っている韓国号と言うこの「世の船」が、荒々しい「IMF」と言う暴風に出遭ったとしても、私たちが属している世界は天国ですから、私たちは恐れる理由がありません。少しも恐ろしくありません。私たちは大胆に対処していかなければなりません。

私たちが仕える神様は、「アドナイ・イルエ」即ち私たちのために備えられる神様です。「アドナイ・ラパ」私たちを癒す神様です。「アドナイ・ニシ」私たちに勝利を与えて下さる神様であり、「アドナイ・シャロム」私たちに平安を与えて下さる神様であり、「アドナイ・ロイ」私たちの牧者になられて、私たちを導いて下さる神様、「アドナイ・メカデシケム」私たちを聖別なさる神様、「アドナイ・チドケヌ」私たちを義の人に造って下さる神様、「アドナイ・サンマ」常に私たちと共におられる神様であられるのです。

私たちは、神学的理論の神様を信じるのではありません。今も生きておられて、聖霊と共に私たちに留まっておられ、私たちの内にみわざを働かせて下さる神様を信じているのです。「詩篇 91篇 1節〜7節」は記しています。『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。』

私たちは、主イエス・キリスト、父なる神様、そして天国に属しているのです。私たちは天国の権勢と威厳と保護の下で暮らしているのです。それで、神様は私たちに御言葉を下さり、御使いを遣わして、私たちを守って下さるのです。「詩篇 91篇11節〜12節」は、『まことに主は、あなたの為に、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たる事のないようにする。』と記しています。

荒々しいユ−ラクロンの暴風に出遭ったその船には、イエス様に属し、神様に属し、天国に属している使徒パウロ先生が乗っていました。それで、パウロ先生と共に、その船に乗っていた人たちが救われました。使徒パウロが、万一その船に乗っていなかったとしたら、その船はユ−ラクロンという暴風に揉まれ壊れて、今日聖書にも記録されなかったでしょう。その船に乗っていた数多い人々はすべて、溺れ死んだことでしょう。しかし、そこには普通の人でない、イエス様に属した人、神様に属した人、天国に属した人、神様に仕える人が乗っていたので、神様はご自分の民を保護するために、御使いを遣わされて御言葉を与えて下さり、みんなを救って下さったのです。




第四、たましいを砕き、告白し、悔い改めなければなりません。

韓国号と言う船は、今「IMF」という暴風雨に出遭いました。しかし、そこにはイエス様に属し、神様に属し、天国に属しており、主にお仕えする1千2百万の神の民が暮らしています。5万の教会と、10万の主のしもべたちがおります。それで神様は、韓国を知らない、と顔を背けることができません。いくら激しい暴風雨にあっても、神様はご自分の民を顧みられるお方です。私たちはこの世に暮らしていますけれども、この世に属しているのではありません。私たちの国籍は、天国にあるのです。

私たちの王は、イエス・キリストであり、父なる神様です。神様に力がないので、私たちを顧みる事ができないのでしょうか。能力がないので、私たちを救い出すことができないのでしょうか。我が国に希望があるというのは、韓国に天国の民たちがいるからなのです。ユ−ラクロンと言う暴風に遭ったその船に希望があったのは、その船に使徒パウロが乗っていたから、希望があったのです。イエス様を信じる私たちが韓国にいて、祈るので、私たちが神様の民であるので、韓国は滅びません。この韓国号は絶対に沈没しません。これが私たちに大きな希望となるのです。

「イザヤ書 59章 1節〜2節」には、『見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。』と記されています。私たちは、間違った信じ方をし、間違った暮らしをして参りました。間違った行ないをして参りました。私たちイエス様を信じる教会が、我が国のなかで光と塩の役割をしなかったので、韓国に、これまで不正と腐敗が横行しても、誰も止めることが出来なかったのです。偽りと嘘が満ち溢れても、これを正すことができませんでした。全国に淫乱と放蕩と世俗が満ち溢れても、これを浄潔させる事ができませんでした。

貪欲が全国を飲み込んでも、これを中止させる力がなかったのです。憎み、猜疑し、憤怒し、嫉妬し、傲慢になり、高ぶっても、これを矯正する事ができませんでした。何故だったでしょうか。私たち教会が間違っていたので、そのようになったのです。教会が光と塩の役割を正しく果たしていたら、我が国に「IMF寒波」という悲惨な危機が近づいては来なかったでしょう。

ですから私たち教会が、その間犯して来た罪を神様の御前に悔い改めなければなりません。私たちは、光と塩の役割を果たすことができませんでした。私たちの家庭で、私たちの職場で、私たちの生活現場で、正しい事を言わず、正しく暮らさず、私たちは世俗と妥協し、間違った暮らしをして来たので、「IMF寒波」が襲って来たのです。

こんにち、どこの誰よりも韓国の教会が悔い改め、罪を告白しなければなりません。韓国の教会が先ず、神様の御前に正しく立たなければならないのです。今回の機会こそ、私たちが呼ばわり祈り、悔い改め、告白し、罪を捨て、主の御前に立ち返って、正しく暮らし、真実に暮らし、聖く暮らすように、心を一新しなければならない時です。教会と聖徒が神様に切に呼び求め祈る時、神様は、教会と聖徒たちが乗っている韓国号と言う船を立ち所に救って下さいます。神様がパウロを救うが為に、その船に乗っていた人々までも救ったのと同様にです。

「イザヤ書 43章 1節〜3節」は、『だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎる時も、わたしはあなたと共におり、川を渡る時も、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。』と記しています。

私たちが悔い改め、私たちが正しく立てば、神様は、我が国を救う為に訪ねて来られます。ですから、イエス様を信じる私たち一人一人が、私たちの教会すべてが、国と民族の前に重大な責任があると言う事を知らなければなりません。「詩篇 91篇14節〜15節」にも、『彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみの時に彼と共にいて、彼を救い、彼に誉れを与えよう。』と記されています。

我が国の希望は、教会にあります。我が国の希望は、1千2百万の聖徒にあるのです。我が国の希望は、私たちを救いに来られる、全知全能・無所不在なる神様の御力にあるからです。神様を探し求めず、人間的に現実と環境を見たら、それこそ暗澹そのものです。ですから、熱く神様を愛し、神様を敬い、力の限りを尽くして神様に祈り求める私たちになりましょう。




お祈り

愛であられる、父なる我が神様! 我が国は今、「IMF」という台風に会いました。天の父なる神様! 韓国号と言う船が舵を失って、狼狽しております。私たちの最後がいつ近づいて来るのかと、不安と恐怖におののいています。

使徒パウロ先生を救うために来られたように、私たち韓国の1千2百万の聖徒、5万の教会、10万の主のしもべたちを早く救いに来て下さい。神様を畏敬し、罪を悔い改め、神様を探し求めて切に祈り求める時、主は来られて、主の民と共に、「韓国」をも救って下さる事と信じます。

主である神様! 現れてください。天のお父さま! 私たちを救って下さい。父なる神様! 私たちを栄光で満たして下さい。艱難と苦痛がとても深く、厳しいです。父なる我が神様! 早く現れて、私たちを助け出して下さい。私たちの過去の罪をすべて赦して下さい。

私たちと一緒に船に乗っている我が民族をもすべて救って下さい。主よ! 助けて下さい。イエス様の御名によって切にお祈り申し上げます。ア−メン!