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「神様の御望み」
 






■聖書箇所

「マタイの福音書 6章 9節〜10節」
6: 9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
6:10 御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。




神様は、その御心の中に熱い御望みを持っておられます。それは他でもなく、この地球の上に神様の御国を建てられることです。地上を神様が完全に支配し、経営なさる国が建つようになる時、神様の御望みが成就されるのです。神様は、歴史を通して神様の御国をこの地に建てる為に何回も試みられました。しかし、人類の不従順と不信仰のゆえに、神様の夢は遅延され、また遅延されました。




第一、神様が最初に建てられた地上の天国はエデンの園

神様は、天地と万物を造られました。地球も造られて、地球の上にエデンの園と言うパラダイスを造られ、そこに、神様ご自身のかたちに造られた人・アダムとエバをおかれました。そして神様は、エデンの園の絶対主権者として、アダムとエバが神様に従順に聞き従い、信じ、拠り頼みながら暮らして行くことを望まれました。それから、神様の主権に挑み、罪を犯す事が無いようにするために、厳しく命令なさったのが即ち、善悪の知識の木の実は取って食べてはならない、ということでありました。善悪の知識の木の実とは、善し悪しを分別する知識を言います。「良い・悪い」を決定するのは、主権者の権利です。民は、主権者が決定した「良い・悪い」に従って暮らせばそれで済むのです。

すべての人が、善し悪しに対する基準を自分自ら立てるとしたら、混乱状態を引き起こして、人々が互いに対決し、争い合うようになってしまいます。家庭も同様です。一家の主人が家庭の頭となって、家庭においての善し悪しは、一家の主人が決めるようになっています。その家の主人に主権があるからです。

ところが、アダムとエバは悪魔の誘惑に陥って神様の主権に挑みました。善悪の知識の木の実を食べたら、目が開かれ、神様のようになる、と言う誘惑にかられて、神様と同等の主権行使をしようとしました。そのために、アダムとエバはエデンの園から追い出されました。地上に天国を建てようとした神様のお望みは、アダムとエバの不従順と不信仰のゆえに実現されずじまいになりました。アダムとエバは神様に背き、この世に出て来て、悪魔の奴隷になってしまう、悽惨な立場に転落してしまいました。

この世には、敵悪魔が蠢動(しゅんどう)しています。悪魔は、罪、憎しみ、貪欲、憤怒、嫉妬、紛争、殺傷、戦争… を起こして、全世界を破壊することにいとまがありません。「ルカの福音書 4章 6節」に、『(悪魔がイエスに)こう言った。「この、国々の一切の権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」』と記されています。

「ヨハネの手紙 第一 5章19節」は、『私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にある事を知っています。』と記しています。その間、敵悪魔はすべての人に貪欲を押し込んで、噛み、裂き、争い、分際を飛び越え、罪を犯すようにしました。疾病の国にして、心も体も生活も病に罹るようにし、呪いの国にして、この世にいばらとあざみが生じるようにし、血みどろの生活をするようにしました。死の国にして、結局はすべての人が神様に敵対し、永遠に地獄に陥るしかない、そのような悲劇的な人生にしようとするのが、悪魔の目的なのです。

「エペソ人への手紙 2章 2節〜3節」は、『そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。』と記録しています。全世界が神様に背いたので、悪魔が空中の権威を握り、人類は、悪魔から盗み、殺し、滅亡される、悲しみと苦しみの中で暮らして参りました。




第二、神様は二番目に、選民の国「イスラエル」を択ばれた

神様は、この世の二番目の天国をご計画なさいました。アブラハムを択ばれ、イサクとヤコブを通して12部族を立てられた神様は、選民「イスラエル」を択ばれました。それで300万人のイスラエルの民をエジプトから連れ出されたのです。「ネヘミヤ記 9章13節」は、『あなたはシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しい定めと、まことの律法、良きおきてと命令を彼らにお与えになりました。』と記しています。

神様は、直接「法」を定められて、王様としてイスラエルを支配し、イスラエルを経営なさる…、このような地上天国をイスラエルを通して建てようとなさったのです。それで神様が、直接イスラエルを導いてカナンの地に入られ、カナンの七つの部族を滅ぼし、そこにイスラエルを住まわせて、地上の天国を建てようとなさいました。

「出エジプト記 3章 8節」に、『わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。』と記されています。ところがイスラエルの民は、悪魔の誘惑に陥り、腐敗して、神様に反逆しました。神様に背いて偶像に仕えました。バアルとアシェラ像に仕え、神様の掟(おきて)に不従順しました。神様の御支配に逆らったのです。再び地上の天国は崩れてしまいました。不従順と不信仰によって、神様のご計画を破壊してしまったのです。神様は激怒しました。イスラエルの民は、アッシリアとバビロンの捕虜になりました。

「申命記 28章47節〜48節」に、『あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる。』と記録されています。

「ネヘミヤ記 9章34節〜36節」も、『私たちの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちは、あなたの律法を守らず、あなたの命令と、あなたが彼らに与えた警告を心に留めませんでした。彼らは、自分たちの王国のうちと、あなたが彼らに与えたその大きな恵みのうちに、また、あなたが彼らの前に置かれた広くて肥えた土地のうちにありながら、あなたに仕えず、また自分たちの悪い行ないから、立ち返りもしませんでした。ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。』と記録しています。地上の天国として選ばれたイスラエルも、反逆と不信仰によって破壊されてしまいました。




第三、イエス様を通して地上天国を建てられる

神様は、ひとり子イエス・キリストを直接この世に遣わされて、神様の国を建てるようになさいました。イエス・キリストの十字架の贖いのお恵みによって天国が建てられるようになったのです。神様はイエス・キリストを通して、この世に終局的に神様の国が根を下ろす事をお望みになられたのです。従って、イエス様が来られて、この世で33年間ご使役なさってから、十字架を負われ、肉を裂き血を流しながら木にかけられたのは、この世の悪魔の仕業を滅ぼし、罪悪を抹消して、天国をこの世にもたらすためでありました。神様の巨大な犠牲であり、巨大な計画なのです。主が十字架に釘付けられることによって、すべての人類に代わって神様に敵対した罪をみな、清算なさったのです。

誰でもイエス様を信じれば、その人の一生の罪が一つ残らず赦されるようにするために、主が十字架を負われました。十字架によって、悪魔の支配と権威がすべて崩壊したのです。悪魔がこの世を支配し、人類を自由・勝手にすることができたのは、人々が神様に反逆し敵対して、神様の経営のもとから追い出されたために、悪魔が人類を勝手に支配し、人類に与えられたこの世を占領することができたからです。

しかし、人たちが神様に敵対した罪をイエス様が贖ってくださり、神様との間の「隔ての壁」を崩してしまわれ、病(やまい)を、呪いを、死を…、すべて清算してくださいましたので、悪魔のすべての権威が奪われてしまいました。悪魔はただ罪にかこつけて、疾病と呪いと死で、人々を盗み、殺し、滅亡させ、支配してきたのですが、その悪魔が欲しい侭にしてきた重い枷(かせ)とくびきを、イエス様が十字架の上ですべてへし折り、打ち砕いてしまったのです。十字架を通して人類は、神様の前で一生の間犯したすべての罪が赦され、悪魔は、盗み、殺し、滅亡させるすべての条件と手段を奪われ、武装解除されてしまいました。

「ヨハネの手紙 第一 3章 8節」は、『罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』と記しており、また、「コロサイ人への手紙 2章14節〜15節」も『いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』と記しています。

イエス様は、人間を罪悪の泥沼から救い出してくださいました。「コロサイ人への手紙 1章13節〜14節」に、『神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。』と記録されているように、罪を犯し、不義をし、醜悪で、捨てられて当然である人たちが、何処ででも、イエス様を救い主として受け入れたら、すべての罪が赦され、解放と自由を得るようになるのです。私たちの心の中に、イエス様が王様として入って来られて、私たちを支配してくださり、私たちを経営し始められるのです。ですから、私たちがイエス様を救い主として受け入れる時、私たちの心の中に霊的天国が成就されるようになるのです。私たちの王様はイエス様です。

「ペテロの手紙 第一 2章 9節」は、『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。』と記しています。霊的天国に臨んだのですから、私たち一人一人がすべて小さい天国です。私たちの主イエス様を王として受け入れて、絶対信仰、絶対従順をしたら、主が支配なさり、主が経営なさる国になるのです。主は、赦しと愛、和解と癒し、そして健康で治めて下さるのです。呪いを取り除いて、アブラハムへの祝福で経営して下さるのです。また、天国と永遠のいのちとすべての幸いで経営して下さるのです。

私たちの人生は、私たちが経営するものではありません。主が王様として来られて、私たちを支配し、私たちを経営なさることを信じるようになりますよう、主の御名によって祈願致します。

その次に、私たちは教会天国を体験します。教会の頭(かしら)はイエス様です。教会の制度は、イエス様が絶対主権者になる事です。教会のすべての制度は、イエス様が主管なさいます。イエス様が、聖霊を通して教会を経営なさるのです。イエス様が、主の定めと主の御霊の力で教会を治められ、教会を経営して下さるのです。「エペソ人への手紙 1章20節〜22節」に、『神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。』と記録されています。

ですから教会は、イエス・キリストに絶対に服従し、絶対に拠り頼まなければなりません。どんな人も教会を支配することはできません。どのような教派も、教会を自分たちの意のままにすることはできません。教会はイエス・キリストの所有であると同時に、地上の天国です。イエス様が王様となられて治められる所です。

主の国が、実際にこの世に現れるようになるのが「千年王国」です。主が降臨なさる時、主にあって死んだ者たちが先ずよみがえり、次に生き残っている者たちがすべてよみがえり、主が「7年患難」の後にこの世を整備して、ここに親しく目に見えるご自分の国を建てられるのです。目に見えるように主が王さまとなられ、クリスチャンたちがキリストと共にこの世を支配し、千年の間、王としてこの世を治めるようになるのです。

「ヨハネの黙示録 20章 4節〜6節」に、『また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。』と記録されています。

「ヨハネの黙示録 21章 1節〜4節」にも、『また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』と記されています。

この世での心配、懸念、悲しみ、苦痛、悩みがすべて過ぎ去り、主が万物を新しくされて、新しい天と新しい地、新しいエルサレム、すなわち永遠に生きる新天新地・永遠無窮の世界である天国が、この世に成就されるようになるのです。

神様のお望みと、神様の愛は、絶対に無にはなりません。神様がエデンの天国を建てようとなさる時、悪魔は人を誘惑して、不従順と不信仰により、エデンの天国の夢を妨(さまた)げました。次に神様は、イスラエル天国を建てようとなさいました。イスラエルの民たちを、アブラハムとイサクとヤコブの子孫に立てられ、シナイ山で契約を結ばれましたが、再びイスラエルが腐敗して神様に逆らい、不従順したために滅んでしまいました。

そして三番目に、神様はその御子イエス様をこの世に遣わされて、私たち一人一人の心の中に天国を建てるようになさいました。イエス様を通して罪を赦し、悪魔の権威を滅ぼし、私たち一人一人がイエス様を救い主として受け入れることによって、私たち個人個人が小さい天国になりました。個人個人が集まって教会天国になり、教会天国で主の備えを私たちが待ち望めば、主が降臨なさって、それから千年王国を成就するようになるのです。そして千年のあいだ王として支配し、主がすべてを審かれた後、新天新地・永遠無窮の世界に入って行って、涙も、心配も、嘆きも、離別も、苦しみも、患いも、死ぬこともないそこで、永遠に主と共に生きる栄光を得るようになるのです。

それで主は、「御国を来(きた)らせたまえ!」と祈りなさい、と私たちに仰せられました。「主よ!天の御国を私の心の中に来らせたまえ。」 「主よ!天の御国を私たちの家族の心の中に来らせたまえ。」 「天の御国を私たち国民の心の中に来らせたまえ。」 「天の御国を私たちの教会に強く来らせたまえ。」 「早く、千年王国を近づかせたまえ!」 「迅速に、新天新地・永遠無窮の世界を来らせたまえ!」と、私たちは祈らなければなりません。

神様のお望みは、この世に天国を建てられることです。世の人々は神様を知らず、「人間の国」をこの世に永遠に存続させようとして、あらゆる努力を傾注しています。世の中の王たちと、世の中の知識人たちが集まって、この地に人間が主張・管掌する国を建てて永遠に存続させようと汗水垂らしていますが、すべて空しいことです。ただ、イエス様が王の王、主の主であられ、主に従う天国の民たちが主と共に、永遠・無窮に治める国がこの世に降臨するようになるのです。既に天国は始まりました。私たちの胸の中に、天国が臨んでいるからです。教会天国が臨んでいるからです。千年王国と新天新地・永遠無窮の世界である天国はもうすぐ、近づいて来るようになります。

私たちが、いくらIMFと言う厳しい経済状態にあるとしても、私たちは、私たちが小さい天国であり、イエス様が私たちの王様であり、イエス様が私たちを支配し、経営しておられるということを信じて、従順に聞き従い、拠り頼み、すべてを委ねたら、それで済むのです。そうすれば、どのような苦難も恐れる必要がありません。主が経営なさるのに、どこの誰が主を滅ぶようにすることができるでしょうか? 天と地とすべての権威をお持ちの方が私たちを経営しておられるのに、どの誰がその経営を妨害することができるでしょうか?

私たちが人間の手段・方法で、人間の努力ですべてを経営しようとしたので問題が生じました。聖書は、『あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者が揺るがされるようにはなさらない。』(詩篇 55篇22節)と記しています。主が経営なさる、私たちのうちにある天国、主が経営なさる教会天国がこんにちこの世で、大いなる栄光となって現れることを信じるようになりますよう、主の御名によって祝福し、祈願致します。




お祈り

聖く、全知全能であられ、愛であられる、私たちの天のお父さま! 『神様の国は、「そら、ここにある」とか、「あそこにある」とか言えるものではなく、神様の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』と仰せられた御言葉を記憶します。

私たちの主が治められ、経営なさる国が、私たちの中に入って来ており、私たちが小さい天国を所有するようにしてくださって、有り難うございます。主が、天国の権威と御力で、これからも私たちを支配し、経営してください。私たちを、赦しと、和解と、癒しと、祝福と、永遠なるいのちで治めてください。益々主を信じ、拠り頼み、主に従順に聞き従うように助けてください。生きようが、死のうが、栄えようが、滅ぼうが、何がどうなろうとも、主の御前にひれ伏して、私たちのすべてをお委ねさせて頂きます。

私たちの一生を、主が治められ、経営なさるように、主のその御手に私たちをお委ね致します。主が治められ、経営なさることによって、はっきりと私たちが小さい天国になれるように助けて下さい。教会天国になれるように助けて下さい。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。ア−メン!