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「根源的罪である欲」
 






■聖書箇所

「ヤコブの手紙 1章15節〜18節」
1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
1:16 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。
1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。




こんにち、私たちが体験している、このすべての経済的、社会的、国家的苦痛の根は、欲にあります。政治家たちの欲が政経癒着をもたらして不正・腐敗の温床となり、財閥たちの欲が政治的影響力を背にして銀行の資金を勝手に使い、利益も出せない蛸足(たこあし)配線式"したい放題"事業拡張をして、その結果、莫大な銀行不実を招きました。

労働者たちの欲も、少し働いて高い賃金を要求するなど、結局、企業の競争力を低下させる結果を生みました。そして一般国民たちの欲は、豪華、贅沢、浪費を欲しいままにして来ました。それでこんにち、私たちは総体的国家の危機に見舞われてしまいました。すべての罪悪の根源が欲です。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。




第一、アダムの欲と堕落

神様は美しいエデンを造られ、傷付くことも害されることもなく、衣食住にも事欠くことがない楽園を造られて、そこでアダムが暮らすようになさいました。しかし唯一つ、エデンの園の中央にある善悪を知る木の実だけは取って食べてはならない、と命じられました。ところが、アダムとエバは悪魔の誘惑に陥って、善悪を知る木の実を取って食べました。神様のように「主人」になろうとしたのです。

「創世記 3章 4節〜5節」に、『そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」』と記録されています。

欲が入ってきたら罪を犯すようになります。真理から離れたからです。欲が生じたら、罪を犯してでも欲を満たします。アダムとエバの行為がまさにそれです。聖書に、『そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。』(創世紀 3章 6節)と記録されています。

彼らは、肉の欲、目の欲、この世の自慢を追求し、欲を孕みました。神様の掟(おきて)に背いて、非正常的な方法で神になり、主人になろうとして、善悪を知る木の実を取って食べる罪を犯してしまったのです。欲がもたらした結果、神様から追い出されて、呪われた地に出て行くようになりました。「ローマ人への手紙 5章12節」は、『そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、・・それというのも全人類が罪を犯したからです。』と記しています。

私たちが体験する不幸と苦痛は、私たちの先祖アダムとエバの欲のゆえに生じたものです。この欲が神様のおきてに背き、曲がった道に走らせ、結局は、死をもたらすようになったのです。




第二、アブラハムの欲気と周章狼狽

アブラハムが75才になったとき、栄光の神様が現れて仰せられました。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。』(創世紀 12章 1節〜3節)

彼は、神様の驚くべき祝福の約束を頂いて、カルデヤのウルの地を発ち、乳と蜜が流れるカナンの地に向かって行きました。しかし、心の中に欲が生じました。神様は、『あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出なさい。』と仰せられたのですが、彼は「故郷で集めたすべての財産」と、父の家の「甥ロトとしもべたちをみな」引き連れて、カナンの地に向かったのです。「創世記 12章 5節」は、『アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。』と記録しています。

従って神様は、自分の欲のままに行動したアブラハムを審かざるを得ませんでした。アブラハムがカナンの地に着くと、そこは飢饉に襲われていました。山川草木すべてが焼けただれたように植物は枯れており、水は一滴も求める事ができませんでした。アブラハムがそこで、神様を見上げて痛く悔い改め、告白し、お赦しを祈り求めたら良かったでしょうが、その心にさらに欲が孕んで、エジプトに下って行きました。

エジプトで、妻サライの美貌のゆえに自分が殺されるかも知れないと恐れて、生きたい欲のままに妻サライを自分の"妹"であると嘘をつきました。サライの美貌が宮廷にまで届き、パロ王はサライを妻に娶ろうとしました。これが、欲が孕んでもたらした悲劇です。そこでアブラハムは、痛く悔い改め、告白し、神様にお赦しを祈り求めたところ、神様があらためて妻サライを戻して下さったので、アブラハムは欲を捨て、エジプトから送り出されて、カナンの地に再び入る事ができました。

神様は、甥まで連れて出てきたアブラハムが完全に神様の指示に従順に聞き従うようになった時、祝福して下さいました。「創世記 13章14節〜16節」に、『ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。』と記されています。

アブラハムが欲を捨て、これからは生まれ故郷、父の家の甥ロトとも別れて、神様の御言葉に従順に聞き従った時、神様は、アブラハムにカナンの地を永久に与えると約束なさり、祝福して下さったのです。

欲が孕めば、罪を犯すようになります。ただ罪を犯すようになるだけではありません。欲は、正常的な方法では満たす事ができませんので、非正常的な方法で欲を満たそうとして罪を犯すようになり、その罪が熟して、死をもたらすようになるのです。欲を払いのける事ができませんので、結局は死の罠(わな)に引っ掛かるようになるのです。




第三、ヤコブの欲と患難

ヤコブは、イサクの双子の息子のうちの二番目です。長子であるエサウは猟を好み、ヤコブは母を助けてその手伝いをするのが好きでありました。ところがヤコブの心の中に欲が生じました。長子の権利が持ちたくなりました。正常的には到底できることではありません。それで非正常的な方法を使用しました。

兄エサウが猟から帰って来て飢え疲れているとき、煮物を煮ていたヤコブは兄の長子の権利を、"煮物を一杯上げるから私に売りなさい"と言いました。それから又、父イサクが子どもたちに祝福して上げる時、兄の姿に仮装して父を騙し、長子の祝福をすべて受けました。その結果、兄エサウと敵(かたき)になって、母の兄の家に逃げなければならない身の上になりました。

しかし、ヤコブは20年間も母の兄の家で雇い人暮らしをしながら、騙され、騙しつつ、とても苦労をしました。ヤコブが財産を溜めて、妻子を引き連れ、20年ぶりに故郷に帰って行くとき、兄エサウが四百人を引きつれてやって来る、と言う報告を受けました。しかし欲を捨てきれずにいたヤコブは、家族はみな殺されても自分だけは生き延びようとして、一人ヤボクの渡しに留まりました。

それで、夜中に神様の使者と格闘をしたのです。妻子はみな死んでも、自分一人だけは生きながらえようとしたヤコブは、格闘の末にもものつがいが外れて、結局はびっこを引くようになりました。もう、どうしようもありません。そうなってから、ヤコブは欲を捨てました。欲を捨てると、神様は仰せられました。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。』(創世紀 32章28節)そして、神様が共に居てくださるのでエサウが感化され、却って馬から下りてヤコブを抱きしめ、泣きながら和解し、それから弟を保護して故郷に案内しました。

欲は、人生に暴風雨をもたらします。しかし、欲をすべて捨ててしまい、悔い改め、砕かれて変化されたら、神様は栄光を示して下さり、みわざを現して下さるのです。




第四、ダビテの欲と犯罪

ダビテは、神様の祝福にあずかって戦争でいつも勝ち、結局はイスラエルの王様になりました。もう彼は、戦争の度に出陣する必要がありませんでした。ところが、ある日の午後遅く床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていたダビテは、ひとりの女が体を洗っているのを見ました。非常に美しく見えました。つい、その心の中に欲が生じました。ダビデはその女を王宮に召し入れ、ついに、その女と寝ました。

その女が身ごもると、一線で戦っている忠実な将校であり、その女の夫であるウリヤを呼び寄せました。そして、ウリヤの妻がダビテ自身によって身ごもった事実を隠すために、ウリヤを妻と寝させようとして彼を家に行かせました。ところが、彼はどんなに忠義の軍人であったのか、「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私だけが家に帰り、飲み食いして、妻と寝ることができましょうか…。」(サムエル記 第二 11章11節)と言って、王宮の門のあたりで自分の家来たちと一緒に寝ました。

ダビテは翌日、彼に酒を飲ませて酔わせましたが、やはり、彼は自分の家には行かずに、家来たちと一緒に寝ました。結局ダビテは、ウリヤの指揮官ヨアブ宛の、「ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。」という手紙を持たせて、ウリヤを戦場に送り帰しました。ウリヤが戦死すると、ダビテはその妻バテ・シェバを王宮に連れ込んで、自分の妻にしました。

欲によってダビテは、恐ろしい姦淫罪と殺人罪を犯していながらも、図々しく恥じ知らずに過ごしていました。「サムエル記 第二 12章 7節〜9節」は、『ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう仰せられる。『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、サウルの手からあなたを救い出した。さらに、あなたの主人の家を与え、あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。』と記録しています。

欲のゆえにダビテは、自分の一生に最も悲惨な苦痛に会う種をまいてしまいました。欲が孕むと罪を生み、罪が熟すると死を生むのです。何故なら、「サムエル記 第二 12章10節〜14節」に、『今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう。』」 ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」』と記されているからです。

神様に対抗する敵悪魔に、大いなる謗(そし)りの種を与えたために、もう、その後のダビテの一生には平安な日がありませんでした。自分の子どもたちが兄弟たちを殺し、父であるダビテまで殺して王権を奪おうとするので、子どもの前から逃げて、子どもの軍隊と血を流しながら凄惨に戦わなければならない事が起きたのです。

人々は欲を張って罪を犯した後でも無事であろうと思うのでしょうが、罪は熟して必ず死をもたらすようになるのです。このごろ、私たちの社会で良く見られるではありませんか? 知識がないので罪を犯すのでもなく、知恵がないので罪を犯すのでもありません。教育が不充分であったので犯罪を犯すのでもありません。他人より法律に明るい人たちが欲を満たすために不法を犯し、不正な方法で地位、名誉、権力、財産を積んで、その結果、列を成して監獄に入っていくのをみます。

欲は、その大小を問わずに私たちの心の中に入って来たら、不法を犯すようにします。正常的には欲を満たすことができませんので、間違った道を歩むようにします。そして、そこには死と言う落とし穴があるのです。




第五、イエス様を欲で誘惑したサタン

イエス様がこの世に来られて、40日40夜断食をなさったあとで、サタンの誘惑にあい、それに打ち勝たれたお話が、「マタイの福音書 4章」に記録されています。『すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』(マタイの福音書 4章 3節〜4節)

こんにち、自分の欲を満たすために、国も、民族も、売り飛ばしてしまう人がどんなにたくさんおり、自分の倫理も、道徳も、信念も捨てる人がどんなに多いでしょうか? しかし、その欲をイエス様は断固として退かせられました。

その次には目の欲、即ち人気を得るためには手段・方法を選ぶな、と言うサタンの誘惑がありました。「マタイの福音書 4章 5節〜7節」は、『すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。』と記しています。

イエス様は断固として、神様を試みてはならない、と宣言なさってサタンに対抗なさいました。人間の手段・方法によって人気を追求することはしない、と言われたのです。そうするや悪魔は、イエス様を今度は非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せながら、「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」(マタイの福音書 4章 8節〜9節)と誘惑しました。まさに、この悪魔の誘惑に歴代の独裁者たちがみな、ひれ伏して拝みました。ヒットラ−、スタ−リン、金日成も、その前にひれ伏して悪魔を拝みました。人間は、権力を得るためには手段・方法を選びません。

しかし、イエス様は言われました。『引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。』(マタイの福音書 4章10節)そう言うや、悪魔は離れて行ってしまいました。

欲は、美しく魅惑的な仮面を被って近寄って来ます。しかしそれは、殺人的毒を持っている毒蛇と同じです。大小様々な欲が、罪と不正と腐敗、そして破滅をもたらします。欲に捕らわれないためには、イエス様の十字架を抱きしめなければなりません。そこに自分自身を釘付けにして、ひたすら主に仕えながら暮らしたら、聖霊様のお導きにあずかるようになり、欲の罠(わな)から脱け出すことができるようになるのです。

インドネシアで猿を捕るときには、手がようやく入るくらいの容器に米を入れて置きます。そうすると、猿が米の匂いに釣られてきて、その容器の中に手を差し入れます。手のひらを開いたら差し込めますが、米を掴んで拳(こぶし)を握ったら、その手は抜けません。その時、猿を捕獲すると言います。檻の網の中に監禁されていながらも、猿は米を掴んだ掌(てのひら)を開こうとしません。欲がどんなに恐ろしいものかを端的に見せてくれます。欲を放せば手が抜けるのに、放さないのです。

こんにち、多くの人々が欲を放さないので破滅に遭遇するのです。「ガラテヤ人への手紙 2章20節」は、『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。』と記しており、「ローマ人への手紙 8章 6節」は、『肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。』と記録しています。

また「ガラテヤ人への手紙 5章24節〜25節」は、『キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。』と記録しており、「ヨハネの手紙 第一 2章17節」は、『世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。』と記しています。

ですから、私たちは欲を捨てなければなりません。欲がある所には必ず悪魔が駆けつけて来ます。神様は、各々に応じて"分際"を与えて下さいました。従って、分際をわきまえて誠実に、そして着実に暮らしたら、主は私たちの分際を高めて下さり、さらなるお恵みを与えて下さいます。欲に駆られて自分の分際を飛び越えた人は、必ず非正常的な行動を取るようになります。罪を犯すようになるのです。そのような人には死が押し寄せてきて、たましいも、心も、からだも、生活も、破綻に至るようにしてしまうのです。

私たちは只、私たちの主イエス・キリストに仕え、十字架に自分の欲を釘付けにして、神様を崇め、神様を信じ、神様に拠り頼んで暮せば良いのです。そうすれば、神様が与えて下さるお恵みと祝福を頂いて、大いなる義と平安と喜びに与かりながらこの世を暮らし、永遠なる主の御国に入るようになります。




お祈り

聖く、全知全能で、愛であられる神様! こんにち我が国が、政治、経済、社会全般にわたって、総体的危機に瀕したのは、私たちの指導者たちだけでなく、私たち国民全部がみな、各々の分際をわきまえず、欲に駆られるがままにしたい放題、勝手に行動して来た結果です。私たちがいくら、手段・方法を動員するとしても、国民全部が欲を捨てて、主のもとに帰って来ないことには、どんな制度も法律も、どのような手段・方法も、私たちを生かすことができません。

主である神様! 我が民族全部がそれこそ痛く悔い改め、心から言い表し、各々分際をわきまえながら暮らすことができるように、私たちに知恵と聡明と明哲と力を与えて下さい。自分の分際を守り、互いに手を取り合って一生懸命に暮して行けば、どのような危機も立派に克服することができます。

もう、私たちが間違った欲望をすべて捨てることができるように助けて下さい。我が民族全部が、悔い改めて、主のもとに立ち帰るように助けて下さい。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。ア−メン。