地獄TOPへ    世の命より・・


彼岸の旅路


賽の河原とは
ひとつ積んでは母のため、二つ積んでは父のため・・・。幼子が死後に遊ぶ場所と云われているサイの河原、父母を慕い積み上げる石を鬼が崩す・・、また父母への想い込めて石を積む幼子。
この「賽の河原」は存在しないものである。神は幼子を「地獄の賽の河原」に放置する事はなく、死後は全ての幼子を神の懐にお入れになるのです。しかし、幼子ではないあなには・・・。

冥土(めいど)の旅路。
冥土(めいど)の土産に・・と言うことばがよく聞かれる。この冥土とは一体どんな処か、そこは音も光もない「深い暗黒の世界」で、死後に通る旅路の一つである。その暗闇の中で光に迎えられる人、闇の使者に導かれる人。共に到着する場所、それは「黄泉(よみ)」である。
ここで二度目の死を定められる人と、新しい命を注がれる人にふるわれる。この二度目の死を迎える人が「永遠の地獄」へ行く人である。さて、あなたはどちらの人でしょうか?

死の河を渡る。
人生の最後に誰もが必ず渡る河がある。ある人は大波に荒立つ深みをあえぎつつ渡り、またある人は、波一つなく足のくるぶしまで水につけ 悠々と渡る人もいる。此岸には見送る者、彼岸には迎える者がいる。また渡りきれずに沈む人、やっとたどり着いても丁寧に永遠の滅びへ案内 される人・・。
その中に特別な人がいる、その人は世にある時に行いが良かった者でもなく、事業に大成功をおさめた者でもない。神のことばの 約束を信じて告白した人でした。その人が彼岸に着くと、天使や御使いの大きな拍手と歓声が栄光を伴って河にひびきました。

天と地は開いている。
人生の道のりには色々な事がある。平坦な道ばかりではなく、苦しく悲しい登り坂、失意に暮れる下り坂、それに加えて「まさか!」の坂がやってくる。
人生八方塞がりになったとき、どんな人にも天国と地獄は開かれている、どちらを選ぶかはあなたしだい・・・。

地獄は一体どこにある。
大金持ちの老人の臨終にある人がたずねました、「全てに満たされてあなたの人生は最高だつたでしょう」その問いに「何が幸せなものか、わし は世界一不幸な男だった」と吐き捨てるようにいいました。
はた目には、お金もあり、地位も名誉も全てが揃っている人でも、その人は違う世界 を生きていました。地獄は人の心に宿ります。
しかし「永遠の地獄」という、ことばではあらわす事のできない地獄が、世の命を終えたあなたの 為に用意されています。その切符は片道切符のみ・・・。

ことばには命がある。
私たちの語る言葉には命が宿ります。その命には神の命と、そうでない命があります。神の命のことばは、聞く人に勇気と力を与えますが、そう でないことばは、人を落胆と絶望へと導きます。
会う人ごとに「どうしたの、顔色が悪いね」と言われ続けた人は本当に顔色が変わり、病人にな ってしまいます。
また「私はダメだ、たぶん今度も失敗だ」と自ら語る人は、必ずその通りになり、確実に失敗と滅びへと歩む事ができます。地獄 はすぐそこです・・・。