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9月3日


■苦難に対するクリスチャンの姿勢

「詩篇 59篇:1節〜4節」
59:1 わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。
59:2 不法を行なう者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。
59:3 今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。
59:4 私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。




人が人生を生きて行く時には、様々な苦しい問題にぶつかるようになります。このような苦しい問題は、人間がいくら知恵深い存在であるとしても肉体が弱いですので、どうすることもできずに体験するようになるのです。ところが、ある人はこの苦しい問題を立派に克服して成功的に生きて行くかと思えば、ある人は克服することができずに挫折して、失敗した人生を生きて行くこともあります。

それでは、苦しい問題が押し迫って来た時、私たちはどのような姿勢を保たなければならないでしょうか?

第1番目に、苦難の中にあっても、神様が導いてくださることを信じなければなりません。ダビデは、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」(詩篇23:4)と告白しました。ダビデのように私たちは、たとい、人生の死の陰の谷で苦しい目に会うことがあっても、全的に神様のお導きと御力を信じて拠り頼まなければなりません。

私たちが苦難の目に会っているとしても、神様のお導きに与って勝利したら、この苦難は私たちに新しい発展と成功の動機に変化されるのです。

第2番目に、私たちは苦しい問題に出会っても、祝福してくださる神様を信じなければなりません。この世の人たちは、苦しい問題に出会ったら怒りを発し、恨みます。しかし、私たちクリスチャンは苦難を通して霊的に祝福が満ち溢れるようになることを信じなければなりません。

苦難を通して自我が砕かれ、ますます神様に拠り頼むようになりますので、神様との関係がもっと緊密になり、霊的に祝福が満ち溢れるようになるのです。このように、霊的な杯が満ち溢れるようになったら、あらゆる肉体の疾病が癒され、更には生活にも充満にお恵みが満ち溢れるようになるのです。

第3番目に、苦難に瀕した時、私たちは神様の慈しみと恵みとを信じなければなりません。ダビデは「詩篇」を通して、自分は神様に罪を犯し、不従順したけれども、神様の慈しみと恵みによってすべての罪を赦していただいた、と告白しました。

このように、私たちも、神様の慈しみと恵みに与ってこそ、この世で勇気を持ち、苦難を解決しながら生きて行くことができるのです。ですから、私たちは苦難の谷を通る時、絶望するとか挫折するとかせずに、かえって、その苦難と逆境を成功の契機としなければならないのです。




お祈り

慈しみと恵み豊かな、我らの父なる神様!

度々、苦しい問題が私たちに襲いかかって参ります。それらを避けるよりも、それらに対抗して勝つことができるようにしてくださり、苦難の後に近づいて来る神様の祝福を見つめることができるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!