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1月18日


■ 感謝する幸いな人生

「ルカの福音書 17章11節〜16節」
17:11 そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。
17:12 ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。
17:14 イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
17:15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。


ある日、らい病人10人がイエス様の所に来て、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と叫びました。それを聞いたイエス様は、「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」と言われました。この御言葉通りに、祭司の所に行く途中で彼らは皆、きれいに癒されました。

ところが、癒された10人のらい病人の内、ただ1人だけが主のもとに引き返して来て、神様に栄光をお帰しし、感謝をささげました。これに対してイエス様は、彼に向かって、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」と言われました。その結果、彼は病の癒しだけでなく、救われる恵みをも受けました。このように、感謝は更なる豊かな祝福とお恵みをもたらす通路になるのです。ですから、私たちは毎日の生活の中で、まことの感謝と報恩の生活を営んでいかなければなりません。

 まず、私たちは恵みを忘れて感謝しない場合がなかったか、振り返ってみなければなりません。昔のことわざに「恩は水に書き、怨みは石に刻む」という言葉があります。これは、「恩はすぐに忘れるが、怨みは長く心に残す。」という意味です。特に、父母の恵みと恩師の恵み、そして兄弟の間での愛と情を忘れてしまい、感謝することはおろか、かえって不満を言う場合が多いです。  このように恵みを忘れ、冷ややかになって感謝しないとしたら、この社会は益々生きて行くことが苦しくなり、お互いに索漠な人生を生きて行くしかないようになります。

 また、私たちは受けた恵みに対して、具体的に感謝しなければなりません。学識があろうとなかろうと、受けた恵みに対して報恩しながら生きる人はすばらしい人格を持った人です。父母の愛と恵みに感謝し、隣人から受けた恵みに報いる人は、自分の人生を潤し、豊かにする人です。 今日、私たちの社会に必要なのは、まさに「感謝する心」です。感謝する心は家庭を和やかで睦まじくし、隣人との間に情感が溢れるようにし、社会に温情がが流れるようにする起爆剤となるのです。

さらに、私たちは神様の恵みに感謝を捧げなければなりません。すべての人間はこの世の中を生きてから、結局は一握りの塵に帰る存在です。このような人生のために、神様は独り子・イエス・キリストを遣わされ、罪と死の絶望から救ってくださいました。ですから私たちは、いつも神様に祈りと賛美で栄光をお返しし、私たちの体と時間と物質を捧げて、感謝する生活をしなければなりません。




お祈り

愛であられる我が神様!癒していただいた10人のらい病人の内、イエスさまの所に引き返して感謝したのはサマリヤ人の一人だけであり、彼は病を癒していただいただけでなく、救われる恵みまでも受けました。 主よ。考えてみますと、私たちはあまりにも感謝すべき条件が多いのですが、感謝することはおろか、不平不満に満ちて生きて来ました。これからは、神様と隣人の恵みを思い、いつも感謝しながら生きるように導いてください。  イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!