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1月22日


■ 癒しの池

「ヨハネの福音書 5章 6節〜9節」
5: 6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5: 7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5: 8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
5: 9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。


イエス様当時の、ユダヤ教の指導者たちは律法を先立たせて人々の上に君臨しながら、私利私欲を満たすことにだけ汲々していました。それでユダの社会は霊的にも肉的にも病弱になっており、全社会的に呪いが蔓延し、希望がなく、従って人たちは、自分たちを助けてくれるメシヤを切に待ち焦がれていました。

このような時に、イエス様はベテスダの池で38年もの間、中風の病にかかっていた人を直してくださることによって、イエス様がまさにメシヤであり、まことの治療者であることを見せて下さいました。

「ベテスダの池」は癒しの池でありました。そこには度々天使が降りて来て、池の水をかき回しましたが、その時に真っ先に入った人はどのような病人であろうと、きれいに癒されました。それで池の周りには各種の病人たちが集まり、池の水がかき回される時を待ち構えていたのですが、その中に38年間も中風の病だった人が混じっていたのです。

38年間も中風の病であった人は、イエス様にお会いしたことできれいに癒されました。彼は長い間、ベテスダの池のほとりで暮らしながら、機会を得ようと必死になって待ちました。しかし機会が来ても、彼はその度ごとに逃してしまいました。中風の病で挙動が不便な彼は、助けてくれる人もなく、池の水がかき回されるときに自分の力では真っ先に池に飛び込むことができなかったのです。

 池の水がかき回される度に、「あっ、機会が来た!」と思って胸にいっぱい希望の火が燃え上がりますが、自分より他の人が先に水に飛び込んで癒されるのを見ながら、彼は失望より以上の深い絶望に落ち込みました。このようなことが数もなく繰り返されながら、彼は病気の癒しに対する希望を失いかけていたのですが、そのような彼にイエス様が訪れて来られたのです。

イエス様が彼に向かって、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言われた時、絶望のどん底に陥っていた、癒しに対する彼の希望が熱く燃え上がりました。その瞬間、彼は「癒された!」との確信に勇気付けられて直ぐに立ち上がり、床を取り上げて歩き出しました。

こんにちも、このようなイエス様の癒しのみわざは継続しているのです。こんにちのベテスダの池は、実に聖霊さまが働いておられる所です。従って私たちは、予期することができなかった時に訪れて来られるイエス様を迎えるために、いつも心の準備をしていなければなりません。

イエス様は今日も、自分の罪を告白して赦していただき、心が聖潔になった人を訪ねて来られて、胸が熱く燃え上がるようにしてくださり、信仰と希望で満たされた人に、神様の癒しのみわざをほどこしてくださるのです。




お祈り

治療者となられる主・イエス様! 十字架で流された貴重な血潮で私たちを贖ってくださり、イエス様の打ち傷によって私たちを疾病から解放されるようにしてくださって、有り難うございます。 これからは、罪と疾病とは全く関係がない、私たちの霊、魂、肉体となるように助けてくいださい。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!