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1月31日


■ 喜びの笑いを笑うためには

「創世記 17章:15節〜18節」
17:15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。

17:16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」

17:17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」
17:18 そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」




人は言葉と文章を通して、また顔の表情と身体の動作を通して自分の感情を多様に表現します。ところがこのような表現の中で、他のどの被造物も真似ることのできないものがあります。それがまさに‘笑い’です。

笑いには色々な種類があります。喜び溢れる‘明るい笑い’があるかと思えば、照れて笑う‘照れ笑い’があり、呆れるとか、ばかばかしい時に笑う‘苦笑い’があります。本文で、アブラハムが笑ったのは‘苦笑い’でありました。彼は、妻が男の子を産むであろうと言われる神様の御言葉に、苦笑いをしたのです。

なぜなら、自分も、妻も、もう余りにも年老いているので、子を産むということは想像もすることができないことだと思ったからです。しかし神様は、その‘苦笑い’を‘喜びと歓喜の笑い’に変わるようにしてくださいました。それでは、私たちが喜びの笑いを笑うためには、どうしなければならないでしょうか?

私たちが喜びの笑いを笑うためには、先ず神様の御約束を記憶しなければなりません。神様は、既にアブラハムに「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせ、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。」と約束なさいました。ところが、アブラハムとサラはこの約束を忘れてしまいました。それで神様が、その約束を思い起こすようにしてくださいましたが、彼らは‘苦笑い’で一蹴してしまったのです。

私たちも同様です。神様の約束でいっぱいの聖書を読みながらも、実際に問題にぶつかったらそれらを忘れてしまい、現実を見つめて慌てるときがあります。しかし、神様の約束の御言葉が成就されることを期待して信じたら、その信仰は実を結び、喜びの明るい笑いが自然と浮かぶようになるのです。

また、私たちが喜びの笑いを笑うためには、忍耐心をもって待たなければなりません。神様の約束の御言葉を心の中に受け入れて信じる状態は、種が蒔かれた状態です。一旦種が蒔かれたら、それが結実するまで忍耐をもって待たなければなりません。これは、農夫が春の時に種を蒔いたとして、直ぐに刈り取ることができないのと同じです。聖書に記録されている偉大な信仰の人たちも、みな期待と忍耐を通して神様の祝福を受けました。

ですから私たちも、期待と忍耐と感謝をもって約束の時を待ったら、天の窓が大きく開かれる驚くべき祝福を受けるようになります。“忍耐は苦くても、その実は甘い”という言葉がある如く、いくら苦しく骨が折れても、希望をもって最後まで忍耐したら、結局には希望が成就され、それによって喜びが満ち溢れる笑いを顔いっぱいに浮かべるようになるのです。




お祈り

神様は、従順に聞き従う人生を生きる老年のアブラハムに、子を産む約束を与えてくださいました。アブラハムまでも苦笑いするしかない現実でありましたけれども、神様が仰せられたら必ず成就されることを信じます。愛であられる、我が父なる神様!私たちの家族がみな、忍耐と確信をもって待つ信仰の人たちとなるように助けてください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!