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7月23日


■一心に行って幸いを得た

「歴代誌 第二 31章:20節〜21節」
31:20 ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。

31:21 彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。




ヒゼキヤ王は、ユダの歴史上もっとも優れ、信仰心の熱い王でありました。「歴代誌第二29章〜30章」を見ますと、彼が即位するやいなや、どれほど神様中心の信仰に堅く立って、神様を喜ばせることを行ったかが、よく現れています。このようなヒゼキヤに、神様は一生涯の間すべてに幸いを得る人生を与えられました。それでは、ヒゼキヤ王の信仰は果たしてどうだったでしょうか?

第1番目に、神様がご覧になる時、良いこと、正しいこと、誠実なことを行う信仰でありました。世の中では騙しと偽り、賄賂と暴力で自分の目標を達成しようとする人たちがたくさんいます。彼らは、うわべではすべてに幸いを得ているように見えますが、終局的には神様の審きを受けて滅ぶようになります。悪人の道は暗闇で、また、すべっこいものです(詩篇35:6参照)。

第2番目には、すべてのことにおいて神様の御心を求める信仰でありました。すなわち、彼は何を計画しようとも、また、どのような決定を下して行おうとも、神様が導いてくださり、助けてくださることを求めたのであります。これは、ヒゼキヤ王がどんなに神様の御心どおりに生きようかと、もだえ苦しんだかをよく見せてくれます。

第3番目には、一心に行う信仰でありました。一心に行った、と言うことは、変わらない信仰を持って生きたということを言うのです。私たちの信仰は、状況によって変わりがちです。一心な信仰とは、生きようが死のうが、栄えようが滅びようが、どんな状況の中でも神様が共にいてくださり、助けてくださることを固く信じることなのです。

私たちが一生涯をすべてに幸いを得る人生を生きるためには、世俗的な方法では決して成功することができません。断固として神様中心に立ち、神様の目の前に、良いこと、正しいこと、真実なことを行い、神様の御心を祈り求め、一心に行う時、可能なのです。




お祈り

主であられる、わが父なる神様!

ヒゼキヤ王が、主の目の前に、善と正義と真実とによって、変わることなき信仰を持って生きたように、私たち家族一同も、ヒゼキヤ王のような真実な信仰の持ち主となるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!