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2月27日


■赦された罪人の幸せ

「レビ記 16章29節〜30節」
16:29 以下のことはあなたがたに、永遠のおきてとなる。第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない
16:30 なぜなら、この日に、あなたがたをきよめるために、あなたがたの贖いがなされるからである。あなたがたは、主の前でそのすべての罪からきよめられるのである。




イスラエルの民たちは日常生活をしながら、罪を犯したらその時ごとに、罪を赦していただくために罪のためのいけにえを捧げ、罪過のためのいけにえを捧げることによって罪に対する報償をしました。しかし、その罪のためのいけにえ’を捧げることは一回だけの効力を持っているものでありました。彼らは依然として罪人である人間なので、神様の前に無意識のうちの罪を犯すこともあり、または、罪を犯したことを忘れて罪過のためのいけにえを捧げずに済ませることもありました。

それで彼等は、毎年、七月十日を「贖罪の日」と定めて守ることにより、罪の赦しを受けなければなりませんでした。しかし、毎年「贖罪の日」ごとに繰り返されていた罪のためのいけにえを捧げることは、イエス・キリストが過越のいけにえの子羊として十字架の上で捧げられたことにより、それ1回で、もう要らなくなりました。今は、イエス様にあって聖徒たちは‘赦された者’となったのです。

赦された息子についての話があります。高等学校に通う息子が勉強はせずに、大学生の振りをしながら不良な友たちと付き合い、良くないことをして遊びまわっていることを知った父親が、息子を呼び寄せて、こっぴどく叱りました。すると、その息子は家を出て行ってしまいました。父親は、家出した息子を家に呼び戻すために方々を探し回りましたが、息子がどこへ行ったのか探し出すことができませんでした。

そうしたある日、息子が、自分の間違いを反省し、その間違いのしるしとして髪を剃って、家に帰って来ました帰りました。そのような息子の姿を見た父親は、心から息子の心を理解してあげながら、寛容に息子を受け入れました。そして、父親も床屋に行って髪の毛をを剃り、つるつる頭になって息子の前に現われました。息子は父親のそのような行動に感動して、父親の前に跪きました。そして、再び悪いことはしません、と言いながら父親の胸に抱かれて、大声を出して泣きしました。

私たちが悔い改め、父なる神様に出ていく時、神様は私たちを胸に抱いてくださり、私たちを慰めてくださりながら、神様のふところに留まるようにしてくださいます。これがまさに、赦された罪人の幸せなのです。




お祈り

愛であられる、父なる神様!イエス様が、過越のいけにえの子羊となられ、十字架を通して捧げられたことにより、私たちの罪が赦され、神様と和解することができるようにしてくださったことに感謝申し上げます。今日もイエス様の血潮に拠り頼んで生きる一日となるようにしてください。また、罪を赦された者として大胆に、サタンの誘惑を退け、勝利の生活を営んでいけるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!