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3月4日


■主が命じられたとおりに行った

「民数記 1章54節」
1:54 イスラエルの人々は、このようにし、すべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。




宗教改革運動が始められた当時、ヨーロッパではそれが軍事行動にまで広がり、社会の雰囲気が殺伐になっていきました。その時、性格が内省的で小心であったカルビンは、静かに神学を研究しながら本を書くのが望みでありました。それで、カルビンは宗教改革の火の炎が及ばない都市を探して流浪生活を始めました。

ところが、ある日ストラスブルグへ行く途中、ジュネーブで一夜を過ごすことになりました。その時、ウィリアム・パレールという宗教改革者が、カルビンが来たという事を聞いて、泊まっている旅館に訪ねて来ました。パレールは「ジュネーブに留まりながら、一緒に改革運動の花を咲かせましょう。」と、根気強く説得しました。しかし‘カルビン’は初志一貫、ストラスブルグへ行って神学研究に没頭したいとの意志を屈しませんでした。

忍耐強く説得していたパレールは、遂にすっくと立ち上がりながら、カルビンに向かって怒鳴るように叩き付けました。「卑怯な人だ、あなたは。あなたは自分しか知らないんだ。あなたが学問に没頭したいと言うことは、単純に、自分自身だけのためなのだ。しかし私は、全能なる主の御名によって警告します。あなたが若しも、この都市での神様のお召しを拒むとしたら、神様はあなたの学問を呪われるはずです。」

カルビンは、パレールの叩きつけるような怒鳴り声に気が遠くなりそうになりました。それで、彼はようやく口を開いて、「先生のご意向…通りにします。」と言いました。その後、‘カルビン’はこの日の経験を次のように語りました。

「その時、私は、天におられる神様がご自分の全能なる御手を伸ばして、私が望んでいる学問への道を阻むのだという、痛烈な感じを受けました。パレールの声が、天の御座からの神様の御声のように聞こえました。それで私は、その安逸で勝手な旅行を中断するしかなかったのです。」

信仰と従順は、銅貨の両面と同様です。信仰には従順が伴ないます。従って、従順は信仰の外的表現であると言うことができます。これは、言い換えれば「私たちが心から神様を信じるとしたら、神様に徹底して拠り頼み、従順に聞き従わなければならない。」ということです。

私たちは信仰生活をしながら、‘自分の意思を固執し、その意思を神様の御心とならせてください’と、祈るときが度々あります。このような時、神様は私たちと共に働いてはくださいません。自分の意思と、自分の希望を捨てて、神様の御心、神様のご計画に従って「神様中心」に立ち、徹底的に神様に拠り頼み、信仰によって従順に聞き従うのが、まことの信仰であり、まことの従順なのです。このような信仰の聖徒さんを通して、神様は大いなる事をなされるのです。




お祈り

全知全能で、愛であられる、わが父なる神様! 私たちは、神様の御心と私たちの意思とが違い、神様の道と私たちの道とが違うので、不従順を犯すときが多いです。主であられる神様!私たちは愚かであり、また世の生活に慣れていますので、神様の御心を知らずに、勝手に思い、勝手に行動する時が数え切れないほどに多くあります。どうか、聖霊さまが導いてくださって、神様の御心に従い、信仰をもって従順に聞き従う、私たちの家族たちとなれるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!