■ヨブの信仰
「ヨブ記 1章:20節〜22節」 1:20
このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、
1:21
そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 1:22
ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
ヨブは、極限の患難の中に置かれていながらも、神様に向かって罪を犯さず、愚痴をこぼさずに、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」と、大胆な信仰告白をしました。ヨブはどのような人であったので、極限の患難の中でもこのような告白をすることができたでしょうか?
何よりも、ヨブは神様を畏敬する人でありました。聖書には、ヨブを指して「この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。」(ヨブ記1:1)と記録されています。即ち、ヨブは聖なる神様の前で悪から遠ざかっており、神様を恐れ、神様に恥ずかしくないようにいつも潔白で正しく生きた人でありました。ヨブは神様を恐れた人でありましたので、患難の中でも神様に罪を犯さず、主の御名をほめたたえました。
またヨブは、神様の摂理を良く知っている人でありました。彼は、神様が天地を創造なさり、宇宙万物を統治しておられる事実を知っておりました。それで、暗闇の権勢者である悪魔が暫し気ままに振舞っているようであっても、終局には神様の権威の前で跡形もなくなるようになる、という確信を持っておりました。その故に、ヨブは、人間の力では到底どうにもならない試練が襲ってきたのにも、愚痴をこぼさず、罪を犯すような不平を言わずに、神様にすべてをお委ねする姿勢を失わなかったのです。
更に、ヨブは、すべてを働かせて益としてくださる神様を信じる人でありました。「ローマ人への手紙8章28節」に、『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』と記録されています。ヨブの信仰は、環境と条件を超越して、その上に居られる神様を最後まで信じる信仰でありました。
私たち人間の目で見たら、絶望的な状況に陥っているように見えることも、神様を愛する人々にはかえって、すべてが働いて益となるのです。ですから、私たちがヨブのように神様の摂理を悟って忍耐したら、すべての絶望的な環境が、希望で満ち溢れる祝福された環境に変化される体験をするようになるのです。
お祈り
聖く、栄光であられる、わが父なる神様!
「主は与え、主は取られる。」方であることを信じ、告白します。絶望的な環境が押し迫って来ても、すべてを働かして益としてくださる神様を信じ、拠り頼み、賛美することができるように助けてください。
イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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