■呼び求めなければならない時
「詩篇 86篇:1節〜7節」 86:1
主よ。あなたの耳を傾けて、私に答えてください。私は悩み、そして貧しいのです。 86:2
私のたましいを守ってください。私は神を恐れる者です。わが神よ。どうかあなたに信頼するあなたのしもべを救ってください。 86:3
主よ。私をあわれんでください。私は一日中あなたに呼ばわっていますから。 86:4
あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。 86:5
主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。 86:6
主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。
人がある切迫した危機にぶつかるようになると、誰もが悲鳴をあげたり、大声で叫んだりするようになります。それでは、私たちクリスチャンはどんな時に呼び求めなければならないでしょうか?
第1番目に、悩みに落ち入った時に、神様に呼び求めなければなりません。ダビデは、自分が悩み、貧しいので、一日中神様に呼ばわり求めていると告白しました(本文1節〜3節)。人は健康であり、所有が裕福で、仕事がうまく進展していたら、高慢になりやすいですが、悩みが多く、貧困である立場に置かれたら、どうすればいいか分からず、うろうろするようになります。
しかし、私たちクリスチャンは、どのような悩みに会っても失望せず、気を落とさず、そのような時にこそ更に神様に呼ばわり求めなければなりません。神様は、「わたしを呼べ、そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」(エレミヤ書33:3)と仰せられたからです。
第2番目に、罪の荷が重い時に、神様に呼び求めなければなりません。ダビデは、「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。」(本文5節)と告白しました。罪の重荷に押さえ込まれて苦しい時、神様に祈り、呼び求めたら、赦していただけるようになります。
イスカリオテ・ユダは、イエスを裏切り、売り払ってから甚だしい罪責感を感じましたが、神様に罪を赦していただくために祈り、呼ばわり求めずに、自殺を選んだので滅亡されました。
第3番目に、苦難の日に、神様を呼び求めなければなりません。ダビデは、「私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。」(詩篇86:7)と告白しました。
一般的に、人々は最も気をつけなければならない時に、気を失ってしまう場合が多いです。しかし、私たちはそのような時にこそ、神様をもっと強く呼び求めなければなりません。
ユダのヒゼキヤ王は、病によって死にそうになった時、壁に向かって座り、神様に大声で泣きながら呼び求めました。その結果、神様は彼の寿命を15年も延長してくださいました。
このように、私たちが悩ましい時とか、罪責感に駆られて苦しい時とか、または患難に会った時、神様を呼び求めたら、神様の慈しみとお恵みを享受することができるようになるのです。
お祈り
慈しみ深く恵み豊かな、われ等の父なる神様!
主は、祈り呼び求める主の民たちに、慈しみとお恵みをほどこしてくださる神様です。心から感謝申し上げます。私たちも、悩ましく、罪責感に駆られる時とか、患難の目に会う時、神様に祈り、呼び求め、御答えを頂くことができるように助けてください。
イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!
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