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4月5日


■究極的な信念

「ローマ人への手紙 8章:28節」

8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。




私たちの人生は、母親の腹から生まれ出て、天に召されてこの世を去る時まで、数限りない波瀾万丈の人生を生きるようになります。しかし、一生を通して考えてみたら、苦しい時間よりは平坦な人生を生きる時間が遥かに多いことを知ることができます。


それにも拘わらず、人々は苦痛の夜を通る時、「これで、私の人生は終わりだ!」と言いながら絶望に陥り、もがきます。それで私たちには、これを克服する究極的な信念が必要です。それでは、私たちが究極的な信念を持つためにはどうしなければならないでしょうか?


第1番目に、私たち自身が神様を愛する者でなければなりません。聖書に、『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。』(ヨハネの手紙第一4:10)と記録されています。また、『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。』(ヨハネの手紙第一4:19)と記録しています。


それで、罪によって捨てられて当然な私たちのために、十字架の上で身を裂き血を流して死なれたイエス様に私たちが会うようになる時、はじめて私たちは、イエス様をこの世に遣わしてくださった神様の愛に感動するようになります。このように神様の愛に感動される経験をした人だけが神様を心から愛し、信じるようになり、神様を信じる信仰を通して究極的な信念を持つことができるようになるのです。


第2番目に、私たちは、「神様のご計画に従って召された人々」であるという事実を信じなければなりません。神様の御前に出て来る時、自分の意志で出て来た人は誰もいません。イエス様は、「神の御心によるのでないかぎり、誰もわたしのところに来ることはできない。」と言われました(ヨハネ6:65参照)。


従って、神様の御心によって召された人だけが神様の御前に出て来て、イエス・キリストを信じることにより、神様の子どもとなることができるのです。私たちがこのような事実を確信する時、揺るがされることがない究極的な信念を持つことができるのです。


第3番目に、「信じるに者には神様がすべてのことを働かせて益としてくださる」ということを信じなければなりません。“すべてのこと”と言うのは、良いことだけではなく、悪いことも含まれます。イエス様を信じるとして必ず良いことだけがあるのではありません。


イエス様を信じるとしても、時には事業に失敗する時もあり、悔しいことに出会う時もあり、言葉では言い表せない艱難の谷を通る時もあり、または、病で苦しむ時もあります。しかし、神様はそのすべてのことにあってみわざを施され、究極には良いことに変化させてくださいます。


ですから、私たちがこのような事実を信仰により確信する時、どのような苦難の中に置かれても、それを充分に克服する究極的な信念を持つことができるのです。




お祈り

聖く、全知全能であられる、わが父なる神様!主は、私たちを愛してくださる神様です。私たちを神様の子どもとしてくださり、愛を持って毎日顧みてくださることに感謝申し上げます。人生という旅程の中で私たちに苦難が襲って来ても、「すべてを働かせて益としてくださる」主を信じます。私たちがどのような逆境に置かれても、立派にそれらを克服して勝利を確保することができる、大胆な信仰の所有者たちとなるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!