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4月30日


■安息に入れなっかた理由

「ヘブルへの手紙 3章:7節〜11節」

3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、
3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
3:9 あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。
3:10 だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。
3:11 わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」




エジプトから出て来たイスラエルの民たちは、カナンの地を相続地として約束をいただいていたにもかかわらず、ヨシュアとカレブを除いては、みんなが荒野で死んでしまいました。なぜ、彼らは「約束の地」に入って行けずに、荒野に埋められる悲惨な結果を迎えるようになったのでしょうか?


彼らは神様の御声を聞いたとき、心をかたくなにして神様を試みたからです(8〜9節参照)。イスラエルの民たちは、神様が親しく自らホレブ山にお見えになられたのを見ました。そして、火の柱と雲の柱が彼らの前を導いていくのをはっきりと見たのにも拘わらず、何事にも神様を信じようとせず、不平、不満ばかり言いながら、神様を試みました。それで、神様は誓われたとおりに、彼らを神様の安息に入ってくることができないようになさいました。 


こんにち、私たちの信仰状態はどうでしょうか?私たちは、イスラエルの民たちが荒野で不平、不満を並べたので滅ぼされた、と記録されている聖書の内容を読みながら、イスラエルの民たちは愚かで、馬鹿らしい人たちだと思う時が、しばしばあります。


ところが、私たちもイスラエルの民たちと全く同じく、過ちを犯すときが多いです。私たちは、神様が私たちに必要なすべてのものをを豊かに供給してくださる、ということを知っているにもかかわらず、食べて生きていくことにだけ没頭して、世の中の事に忙しく駆け回っています。


また、患難と試練が近づいて来た時、感謝と忍耐で克服したら、必ず神様の祝福が臨むというのを知っていながらも、患難と試練にあった時に、落胆してしまう場合が少なくありません。


聖書は、『「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。』(ヘブル人への手紙3:13)と勧めています。イスラエルの民たちが神様の御声を聞いたとき、従順に聞き従う心で信仰をもって生きて行かずに、心をかたくなにして聞き従わなかったので、神様の安息に入れなかったのです。


これと同じく、こんにち、私たちも患難と試練に会ったとき、不平、不満を言いながら、落胆し失望することによって、神様の安息に入れなくなることがないように気をつけなければならないのです。




お祈り

全知全能で、憐れみ深き、わが父なる神様!神様の、奇しきみわざと力を見ていながらも不従順したイスラエルの民たちは、カナンの地に入って行くことができずに荒野で死ぬ悲劇を迎えました。愛であられる、わが天のお父さま!私たちの生活態度に不平とか、不満を言ったことがないか、顧みるように助けてください。患難と試練に会った時、不平・不満ではなく、感謝する信仰を持つことができるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!