前へ    次へ

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月


2006年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            


4月11日


■さらにまさる道

「コリント人への手紙 第一 12章27節〜31節」

12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
12:28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。
12:29 みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。
12:30 みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。
12:31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。




“すべての道はローマに通ずる。”という西洋のことわざがあります。それほどにローマは交通の要地として、高度の文明の花を咲かせたところです。ローマへの道が発達した理由は、ローマ帝国が占領国からすみやかに穀物を輸送すると同時に、最短時日内に軍隊を戦場に投入するためでありました。人生の道においても、人たちは各々“さらにまさる道”を求めて走り回っています。それでは、本当の満足を得るためには、はたして私たちはどのような道を選ばなければならないのでしょうか。


 私たちは、“愛の道”を歩まなければなりません。いくら最高級の自動車があるとしても、ガソリンを入れてエンジンをかけなかったらくず鉄にすぎないのと同じく、私たちがいくら善行を数多く行うとしても、愛がなかったら、私たちの人生は何の価値もなく、むなしいものです。使徒パウロは愛に対して、『また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。』(コリント人への手紙第一13:3)と言いました。ですから、私たちはいつも聖霊充満になって、主への奉仕においても、世のことにおいても、愛をほどこす道を歩まなければなりません。


ところが愛の道に歩むためには、愛が成さしめる属性を一つ一つ私たちの中に保たなければなりません。『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。』(コリント人への手紙第一13:4〜7)と聖書に記録されています。イエス様は、十字架を通してこのような愛の模範を私たちにお見せしてくださいました。


それでは、弱い私たちはどのようにして、主がなさったような愛を実践することができるでしょうか?主を信じる「信仰の道」を歩いて行くとき、主がお見せしてくださった愛を実践することができます。私たちが世の道を捨ててイエス様にだけ従うことに決心して生きて行けば、聖霊が私たちを助けてくださいます。主は、『あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。』(ヨハネの福音書14:12参照)と仰せられました。


ですから、私たちはいつもイエス様の中で暮らし、聖霊さまに拠り頼んで、主の愛を成して行く人生を生きていかなければなりません。




お祈り

愛であられ、聖き、わが父なる神様! すべての良き賜物は、我らの父なる神様が下さるものであることを信じます。私たちが良き賜物をいただいて行うとしても、私たちの中に愛がなかったら何の役にも立たない、と仰せられました。どんな賜物よりも、私たち家族全員にまず愛の賜物を下さって、主の愛を成就して行けるようにお恵みをほどこしてください。  イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!