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4月15日


■貧しい人が立派な信者でしょうか

「コリント人への手紙 第二 8章 9節」

8: 9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。




いつからか、教会は物質的な富を罪悪視しました。それで、立派な信者になるためには、貧しくならなければならないと思うようになりました。それにも拘わらず、教会は福音を広範囲にわたって伝えるべく、物質の必要を痛切に感じる自家撞着に陥ってしまいました。果たして物質が罪悪でしょうか?今日は、御言葉を通して物質と信仰生活との関係を調べてみようと思います。


物質はすべて、私たちの良き神様が造られた物です。神様はエデンの園を造られてから、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせ、そこをアダムとエバに居所として与えられました。そして、彼らを祝福されて『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』(創世記1:28)と仰せられました。


このように、人間に対する神様の根本の御心は、私たちがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また命を得るにしても満ちあふれるばかりに得るようになることでありました。イエス様は、『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。』(ヨハネの福音書10:10)と仰せられました。


また、旧約時代の主の民たちを通して、神様の御心が貧乏とか呪いではないことを知ることができます。その代表的な人物がアブラハムです。彼は75歳のときに神様に召されて、将来「祝福の根源となる」(創世記12:1〜3参照)という約束の御言葉をいたたき、物質的な祝福と共に信仰の祖先となる祝福をいただきました。


ところがこんにち、多くの人々は「物質の祝福をいただいて富む者となったら、世俗的に変質するので、信仰にはよくない。」と思っています。しかし聖書は、当時の巨富であったアブラハムを指して、“神様の友”であり、“信仰の祖先”であると記録しています。このように、富は信仰の姿勢が正しい人には祝福となるのです。しかし、信仰が正しく定立されていない人には、富が世俗化と堕落の道具になりやすいです。ですから、「富んでいる」それ自体が問題ではなく、人の信仰状態が問題なのです。


或る人は、「クリスチャンは、皆お金持ちになれるのか?」と、質問するかも知れません。皆がお金持ちになることはできません。お金持ちになる、ならないは、神様の特別な摂理によるのです。しかし「詩篇23篇1節」に、ダビデが、『主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。』と告白をしたことを通して、私たちは神様の御心を伺い知ることができます。すなわち、神様の御心は、主の民たちが豊かに暮らし、裕福な中で隣人とも分かち合いながら暮らす人生となることを望んでおられるのです。




お祈り

創造主であられ、愛であられる、我らの父なる神様! 私たちのためにすべてを備えて置かれ、何一つ不足することがないように、毎日満たしてくださるお恵みに感謝申し上げます。イエス・キリストは私たちのために貧しくなられ、私たちを富む者にしてくださいました。私たちも神様の民らしく富む者となるように助けてください。そうして、いつも隣人たちと分かち合いながら、主に栄光をお帰しする人生を生きていけるように導いてください。 イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!