■神様の宮
「コリント人への手紙 第一 6章:15節〜20節」
6:15
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
6:16
遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
6:17
しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
6:18
不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
6:19
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
本文(今日の奉読箇所)を読んで見ますと、ソロモンが建てた神殿が心の中に浮かび上がります。イスラエルの民たちを導いて荒野を通っていたモーセは、シナイ山で神様から神殿の模型を啓示していただきました。モーセは、神様の啓示通りに荒野に移動式聖所を建て、後日、ソロモンがシオンの山に神殿を大きく立派に建てました。
神様の神殿は、私たち人の形を基本として建てられました。モーセが建てた荒野の聖所とソロモンが建てた神殿、二つとも構造と形態が全く同じく建てられたので、神様が、「あなたがたの体は、キリストの体の一部であり、聖霊の宮である。」と仰せられました。即ち、クリスチャンの体は「神様の宮」なのです。昔、聖所や神殿に住まわれておられた神様が、こんにちは、人たちの中に聖霊さまが住まわれるようになさったのです。
それでは、神様がモーセを通して啓示してくださった聖所は、どのような形に作られたでしょうか?荒野にあった幕屋は、白い亜麻布で周りが取り囲まれてあり、東の方に出入りの門が一つありました。その門を開いて入ったら、幕屋の庭です。幕屋の庭の中には、供え物を火で焼いて捧げる青銅の祭壇と、祭司が手足を洗うための青銅の洗盤がありました。
幕屋の庭を通ったら、また垂れ幕がしてありますが、その中が聖所です。聖所の中には、七つの金の燭台と、供えのパンを並べる床と、金の香の壇があります。ここにまた垂れ幕がしてありますが、その垂れ幕をめくって入ったら、至聖所が現れます。至聖所の中には「あかしの箱」があり、その上には贖罪の座が置かれてあります。「あかしの箱」の中には「十戒」が記録されている二つの石の板と、「マナ」を入れた壷と、アロンの「芽が出た杖」があります。
神様が「あなたがたは神の聖殿である」と言われましたが、聖所の庭は私たちの「肉体」に該当し、聖所は「たましい」に該当し、至聖所は「霊」に該当します。ですから、こんにちイエス様を信じる聖徒さんたちは、霊に属した人と、たましいに属した人と、肉に属した人に区別することができるのです。また、旧約時代には、一般の人たちは聖所の庭にだけ入ることができ、祭司は聖所の中に、そして至聖所の中には大祭司だけが入ることができました。
こんにち、聖徒さんたちも、この三つの種類に区別することができます。即ち、聖所の庭にいる聖徒、聖所にいる聖徒、そして至聖所にいる聖徒に分けることができます。私たちは皆、至聖所に入っている聖徒として、霊の支配を受ける人生を生きなければならないのです。
お祈り
私たちの創造主であられ、愛であられる、わが父なる神様!私たちを聖殿としておられる神様を畏敬し、賛美と尊厳を捧げます。イエス様の十字架の血潮で私たちを贖ってくださり、罪の中で生きていた私たちを救ってくださった神様に感謝を捧げます。神様の御霊であられる聖霊さまが、私たちの中に留まって居られることを悟るように導いてくださって有り難うございます。主を信じる者として、私たちが皆、霊に属した者となり、神様の聖きに参与することができるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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