■神が住民を残して置かれた理由
「士師記 3章 1節〜4節」
3: 1
カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。 3: 2
・・これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである。・・ 3: 3
すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。
3: 4 これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。
神様は、たまに私たちの信仰を試みられます。今日の本文(奉読箇所)「1節と2節」を見ますと、『カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国 民は次のとおり。・・これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである。・・』と記録されている通りに、神様がすべてのカナン人など、国民を残して置かれた理由が、イスラエルの民たちに戦いを教え、知らせるためでありました。それは、神様の民たちが敵との戦いを通して勇猛で強くなることを願われたからであったのです。
また、本文「4節」には、『これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。』と記録されています。神様は、イスラエルの民たちをエジプトから連れ出された後に、彼らを試みられました。
このように、神様がご自分の民たちを試みられる理由は、「申命記8章15節〜18節」にはっきりと啓示されています。即ち、心が高ぶり、主を忘れることがないようにするために、苦しめ、試み、ついには、幸せにして上げるためであったのです。今日の本文では、神様がすべてのカナン人など国民を残して置かれた理由が、彼らを利用してイスラエルの民たちが神様の命令と戒めに聞き従うかどうかを、試みられることに目的があったと記しています。
こんにちも、これと同様です。神様は、私たちが敵悪魔との霊的戦いを通して、強く大胆な信仰を持つようにと望んでおられ、神様に全的に聞き従うことを願っておられます。聖書は、『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』(エペソ人への手紙6:12〜13)と、教えています。
私たちが生活している日常の人生の現場は、毎日が霊的戦いが熾烈に展開される戦場です。私たちの敵悪魔は、私たちの弱い部分を狙っていろいろな誘惑の餌を投げ与え、私たちを試練に陥れようとします。しかし、私たちが神様だけを信じて見つめ、神様の御言葉に従順に聞き従って敵悪魔に敵対し、御言葉の上に堅固に立って祈るかぎり、私たちはそのすべての試練に打ち勝ち、ますます強く大胆な信仰をもつようになるのです。
お祈り
悪魔の試みに完全に勝たれた主イエス様!
たまに私たちにも試みが押し寄せて来ます。試みを通して、私たちがもっと成熟したクリスチャンになるように助けてください。私たち家族が全部、鍛錬された信仰で神様に喜ばれることができるように導いてください。
イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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