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6月3日


■ 信仰の試練

「ヤコブへの手紙 1章 2節〜4節」
1: 2 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
1: 3 信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
1: 4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。




人生を生きて行きながら、苦しみとか試練に会わずに生きて行く人は一人もありません。しかし人は、この苦しみや試練を通して、価値ある人生を得るようになるのです。貴重な物とか、貴重な人材であるほどより多くの試練と鍛錬が付きまとうのです。従って、神様を信じる聖徒たちに火のような試練が襲ってくるのは、少しも異常なことではありません。このような信仰の試練を通して、私たちは次のような、大いなる祝福を神様からいただくことができるようになるのです。

先ず、砕かれた人になれます。苦難は、人間の我執を砕いてくれます。私たち人間が堕落するもっとも根本的な動機は、まさに我執にあります。我執が強い人であるほど神様の御言葉には耳を貸さず、すべてを自己中心的に行います。こういう人には、神様が祝福してくださいません。なぜなら、そういう人は神様からいただいた祝福でもって、神の御国を破壊し、自分の一生も台無しにするからです。

しかし、苦難や試練を通して我執が砕かれたら、神様の御言葉に従って暮らし、すべてにおいて神様を認め、神様にすべてをお委ねするようになります。ですから、試練や苦難に会う時、私たちは徹底的に砕かれて、神様だけに拠り頼まなければなりません。神様は砕かれた私たちを通して、驚くべき御業を働かせられるのです。

次に、試練や苦難を通して、人は堅固な信仰を持つようになります。試練や苦難は信仰を鍛錬させるのです。私たちの信仰は鍛錬を通して強く、堅固になるのです。鉄が火に焼かれ叩かれてから鋼鉄になる如く、私たち人間の信仰は、鍛錬されてこそ強くなるのです。試練を通して鍛錬された人は、火の中に入る試みに会っても後ろに退かず、信仰を放棄することもしません。ですから私たちは、試練を通して私たちの信仰が鍛錬されるのだと言うことを悟って、試練に会う時、かえって神様に感謝しなければなりません。

さらには、聖く淨潔な生活を営むようになります。信仰の試練は、私たちの人生を聖潔にしてくれるのです。「ペテロの手紙第一1章7節」に、『信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。』と記録されています。

神様が、私たちを苦難と試練の中を通るようになさるのは、苦難と試練の火で私たちの心の中の滓を取り去り、イエス様の形に似て行くようにするためでなのです。ですから、私たちは試練を祝福される機会として受け入れ、神様に感謝し、祈りを通してそれらを忍耐しながら克服していかなければならないのです。




お祈り

愛であられる、わが父なる神様!

試練と苦難を通して、精錬された金のような信仰の持ち主となるように私たちを成長させてくださるお恵みに感謝申し上げます。試練や苦難が近づいて来る時、心から喜び、それを神様から祝福していただく機会とすることができるように、私たち家族を助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!