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  (No.8)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



本物を見る目を養う

 



本物が見えない時代となりました。私達の周りを見回しても、本来の道から外れ「道ならぬ道」を歩む者が後を絶ちません。キャリヤ官僚の不祥事、警察の内部腐敗、政治家特権の私物化、大企業の粉飾決算や経営の怠慢など、挙げればきりがありません。

私達は日常、嘘と欺瞞(ぎまん)に囲まれ生活をしています。又その嘘と欺瞞に慣れ親しみ、それを正そうとする意識すらも薄れていた事を否めません。元大阪府知事も、芸能界では日常茶飯事に通用すると、罪の意識もなく女子学生に対してセクハラと言う犯罪行為に及びました。

また芸能界をはじめ、国会にも二世議員が大きな比率を占めています。本当に政治家としての自覚と責任、政策と行動力を持っているのか、自らを吟味して立候補して貰いたいものです。大学病院での医療事故に於いても同じです。開業医の間にも「間違っても過失を認めてはならない」と多くの医師会が指示していた事も事実のようです。

嘘や偽物が本物のように振る舞い、本物をそうでない様に見せかけ人の目を眩ませます。そして人々の判断を狂わせ、間違いを間違いと思わなくさせてしまいます。また人々は、諦めも加わり、その世界を容認してその中に安住してしまう事になります。

人間性を無視した経済優先の世の中で、犯罪の低年齢化が進み豊かな中の孤独死や心病んだ人が増えています。政治に対する不信感も、これまでの議員選挙の投票率に顕著に現れています。

私達は、聖なる目を開き、「是は是」「否は否」と正しく見る必要があります。不正や間違が容認されている世の中で、「正しい事」を「正しい」と言うには勇気がいります。また正しい道を歩む事が恥に思えたり、馬鹿らしく思う様になります。しかし最後に勝利を得るのは、妥協せず正しい道を歩んだ人に輝きます。

日々私達の周りに溢れる情報にも、正しく信頼できる情報は僅かしかありません。同じ情報にも、「白」と言う意見と、「黒」と言う意見が混在します。受け取る側は迷った挙げ句、「灰色」の情報となり、結局は判断を迷わせる情報となってしまいます。


一昔前のニューヨークで、ある話題で持ちきりになりました。それは、綱渡りの名人が摩天楼の先端と先端にロープを張り、そこを渡ろうと言うのです。もちろん命綱もなく、万一を考えた安全ネットもありません。

バランス棒一つを頼りに命がけの綱渡りに、通りには露店が並びました。オフイス街は仕事も休み、勇敢な男の世紀のショーを見物する事になりました。囃す人、危険だから止めろと言う人、中には、彼が転落して落ちるかどうか「賭けをする」者まで出ました。

高層ビルの窓と言う窓は人の顔で埋まり、いよいよ、彼の一世一代のショーが始まりました。ゆっくりと彼の足がロープの端にかかりました、長いロープは上空を吹く風に揺れています。人々は固唾をのみ、上空の彼を見つめました。

彼はしばらく調子を整えていましたが、一歩そして一歩と進み始めました。彼の姿が揺れる度に、見物人の悲鳴、かけ声、ヤジなどが飛び交い騒然となりました。彼の成功を信じる者もいましたが、きっと転落して死ぬだろうと、大勢の人は思いました。警察から手配された担架まで下には用意されていました。

しかし彼は大方の予想に反して、見事上空に張られたロープを渡りきりました。人々は大喝采しました。彼の勇気と見事な足さばきに驚嘆しました。彼が上空から下に降りるまで、拍手が続きビルの窓から紙吹雪が舞いました。

下に降りた彼に記者がインタビューしました。
「素晴らしい、今まで失敗した事はないのですか」

 「失敗していたら、私は此処にはいません」
 「私はどんなに高い処でも平気です、渡りきる自信はありました」

群衆は褒めちぎりました。
 「君は大した男だ」
 「きっと成功すると信じていた」
 「そうだ成功すると確信していた」
大勢の人々の間から「君の成功は確信していた」と言う言葉が飛び交いました。

そこで彼は群衆に向かって言いました。
 「皆さん、私を信じてくれてありがとう」
 「お礼に、もう一度あのロープを渡って見せましょう」
 「今度は、信じてくれた皆さんの中の一人を背中におぶって渡ります」

 「どなたか私の背中に乗る人はいませんか?」
それまで囃し立てていた人達は黙ってしまいました。

 「皆さんは私が渡り切れると信じておられたのではないですか?」だれ一人彼の背に乗ろうとする者は現れません。

そのとき群衆の最前列にいた少年が出て来て言いました。

 「ほくが乗るよ」
人々は驚きました。

そして二度目の挑戦は、その少年を肩車して摩天楼に張られたロープを渡る事になりました。上空は先ほどにも増して風が強くなっていました。人々は、今度こそ落ちてしまうのではと心で思いました。しかし少年はニコニコして彼の肩に乗っています。

人々の思いに反して、彼と少年は見事に二度目のロープ渡りを成功して地上に降りて来ました。群衆は先ほどにも増して、大きな拍手で彼らを迎えました。

しかし今度は彼を誉める以上に、肩に乗ってロープを渡った少年を誉めたたえました。

「なんて勇敢な少年なんだ!」
「本当だ、すごい少年だ!」
口々に感嘆と誉め言葉が溢れました。

先ほどの記者が少年に尋ねました。
「君の勇気はすごい、怖くなかったかい」

少年は笑顔で答えました。
「ウン。ちっとも怖くなかったよ、ぼく信じているもの。」
「だって、ほくのパパだもの!」

彼は少年の父親だったのです。
群衆は口では「信じる」と囃し立てましたが、心は「半信半疑」でした。しかしこの少年は、父親である彼をよく知っていました、そして本当に信じていました。疑う心がなかったため、恐怖や不安がなく、笑顔で彼の肩に乗ってロープを渡る事が出来ました。

親は子に対して、騙したり悪く図ったりする事はありません。また子供は親を疑いません。お互いが「確信」と言う、愛と信頼で堅く結ばれているからです。

群衆は彼の本当の腕前を知りませんでした。噂として流れる情報には「成功する」と言う声と「きっと失敗する」と言う声が入り混ざり、確信を持った判断をする事が出来ませんでした。

相場に生きる私達も、本当に信頼出来る情報を集めると言う事は大変難しいことです。本当に信頼出来る情報とは、数分前までの過去データと公に公表されるデータだけと言っても過言ではありません。

巷に溢れる情報の殆どは、綱渡りを見物する群衆の言葉と大きな違いはありません。信頼出来る情報以外は、「偶然」と言うサタンの助けなしでは、実を結ぶ事はありません。

美しく着飾った情報を捨てる事は大変勇気のいることです。その魅力とドレスの下には実体のない「虚像」が潜み、反対に飾らない正しい情報には、確信と言う蕾(つぼみ)と、大きな収穫の実が秘められています。

相場に限らず、正しいものを正しく見る聖い目を養い、間違いのない勝利への道を歩み続けたいものである。




 



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