道しるぺ相場格言人生訓みことばお説教マザー・テレサ



前へ    次へ

  (No.17)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



危機管理

 



世界貿易センタービルへのテロ事件から多国の同意のもと、テロ撲滅を掲げた戦争が進んでいます。テロ首謀者の逮捕を掲げ、強大な軍事力を行使し、関係のない民間人にまで犠牲が広がり 心を痛めている人達も少なくありません。

事件当初は米国民の殆どの人がこの報復戦争に賛成でした。犠牲を被った者にとっては当然の思いと察する事ができます。しかし犯罪者を逮捕するのは、本来警察権力によって行うものであり、犯人逮捕のために、無実の人を犠牲にする事は道を外していると言わねばなりません。

米国はこのテロを国家に対する宣戦布告と解し、軍隊に攻撃を命じました。最先端技術を利用した武器や兵器により圧倒的な勝利を目前にしています。またテロ撲滅を早期に実現するために、この戦争は避けられないと言う意見も少なくありません。

しかし、報復はまた新たな報復を生み、その鎖を決して絶つ事は出来ず、完全なテロ撲滅の達成は難しいと言わねばなりません。強者が弱者を力で服従させて、決して良い結果を得ない事は歴史が証明しています。

また、タリバンが「これはイスラムに対する挑戦だ」言う様に、世界で今も続く戦争の根底には「民族と宗教」が関わり、今度もイスラム教とキリスト教の戦いとも言われます。しかし元を辿れば これらに属する二民族は義理の兄弟(義兄弟)の関係にありました。

アブラハムが妻サライの言葉に従い、召し使いハガルに生ませた子「イシマエル」と、後に生まれた正妻サライとの子「イサク」の子孫が アラブ国家(イスラム教)とユダヤ国家(キリスト教)に分かれました。

聖書ではイサクもイシマエルも共に神に祝福され、子孫が増え拡がると約束されました。しかしお互い子孫の間に諍い争いが絶えないと言う、神の摂理は変わらず現代に至っています。

正妻と妾との間に諍いや争いが有るように、真理(摂理)に逆らった行動は憎しみや破壊を生み、この争いは絶える事はありません。力のバランスが傾いた者が勝者になったり敗者になり、永遠の泥沼へと沈んで行きます。


相場に於いても摂理に逆らい、強引に力ずくで支えられた相場は必ず崩壊し、買方も売方も互いに大きな痛手を被ることになります。双方の報復合戦はお互いの命を縮めます。それだけではなく、それに巻き込まれる零細投資家の犠牲も無視する事は出来ません。

人の心には次々に色々な思いが宿ります。目にするもの、聞くもの、感じるものによって心は変化します。大きな含み損を抱え、相場の先行きに弱気する心も、損益分岐を越えた途端、今までの弱気が何処へやら、一転強気に変貌してしまいます。

理由のない臆病は心を狭くし折角与えられる利益を自ら失う事になってしまいます。しかし自らの力や技量、資金計画をしっかり把握し、真理(摂理)を貫く為の正しい「臆病」は失わない事が大切です。

今回のテロ事件を通して世界に「危機管理」の重要性が改めて再認識されました。これまでは、誰もが必要と認めていても、 「まさか・・」と実行が怠られていました。

相場にも同じ事が言えます。身を守る「臆病」や「怖さ」は危機管理を働かせる原動力になります。決して無理をしない。実体から大きく乖離した銘柄には盲従せず、市場でいくら輝きが見えても、必ず反対売買の準備へと方向を変更しなければなりません。これを怠ると突然の異変に、的とする目標や方向が分からなくなってしまいます。


また反対に 相場が長年低迷を続け、その環境に染まってしまうと、こんどは出現した大きな変化の兆しを見落とし、相場の判断を間違ってしまう事があります。長年の低迷と言う環境に捕らわれ、「危機管理」が ただの「臆病」になり、折角与えられた大きな収穫を自ら放棄してしまうばかりか、反対に損失を招いてしまう事になり兼ねません。

自然が季節の変化に従うように、真の政策や相場の転換(大きな流れ)には、過去を捨て素直に受け入れ従う事が必要です。木々が自然の摂理に逆らえば生きる事は出来ません。秋には華麗に飾った身も、冬には惜しげもなく葉を落とし、命を育む試練に耐えて春を待つように、自らが変化出来る者だけが真理(摂理)の恵みを受ける事ができます。

私達も 神に与えられた「臆病」で正しく危機管理を行い 従うとき「大きな変化」に繋がる本物の兆しを発見することになります。やがてその「臆病」は行動を通して「確信」へと導かれ、そこには今までにない大きな収穫が用意されています。


1930年代のお話です。ペプシコーラが当時としては珍しいラジオ広告を行う事になりました。そしてペプシコーラの社運を掛けた広告を全世界から募集する事になりました。最優秀の広告には破格の賞金がつけられ、世界中の広告会社が色めき立ちま
した。

当時は大恐慌時代と言われ不況真っ只中でした。失業者が溢れ、企業も個人も厳しい時代でした。特に広告業界は最悪の状態でした。ペプシコーラのコマーシャルを作れる事は当時の広告会社に取っては名誉な勲章と言われていました。

多くの大手広告会社は勿論、中小の広告会社も全精力を傾けました。世界中から膨大な広告作品が集まりました。どれも素晴らしいものでした。白熱した選考委員の中に、一つの目を引く作品がありました。

コーラ瓶の栓を開く音に加えて、「シューポ〜ン」と言う、何とも言えない爽やかな音が入っていました。そして湧き上がる炭酸の音がメロディーを奏でる様に添えられていました。

選考委員の多くの推薦と共にこの作品も推薦作品として、ペプシの社長に提出されました。膨大な数の中から選ばれた作品に、社長も迷いました。しかし「シューポ〜ン」と言う、この爽やかな音、泉のように湧き上がる炭酸の音にかなうものはありませんでした。

社長の一声で最優秀作品に決まりました。

こんな素晴らしい広告を作るのはさぞ有名な広告会社であろうと、社員に尋ねました。しかしそれは社員も知らない小さな名もない広告会社でした。

社長はこの会社の代表者を呼び、
「あなたの会社の作品は膨大な作品の中で最高でした。」
「我が社のイメージ広告として世界中で使用する事にしました。」

「賞金の額にはこだわりません、あなたの仰る通りの金額をお払いします。」

小さな広告会社の代表は、最優秀に選ばれただけで幸せでした。今回の作品の賞金など戴かなくても結構ですと言いました。どうしてもと仰るなら、1〜2ドルで構いません。

ペプシコーラの社長は困りました。
「あなたの広告にはペプシが飛躍する価値があるのです」
「私は本当に、あなたの欲しいだけの金額を支払います。」

とうとう社長は
「ここに白紙の小切手があります、あなたの欲しい金額を書き込んで下さい。」

しかし、この白紙の小切手を貰った広告会社は僅か10ドルの金額を書き込み銀行に入金しました。

それを知ったペプシの社長は、たとえ小切手に何十万ドルと書かれても支払うつもりだったのにと後に語りました。この小さな広告会社は、堂々と手にする事ができるチャンスを自ら失ってしまいました。


相場に於いても、めぐり来る周期や時期によっては、過去にはなかった様な、大きな収穫が得られるチャンスが訪れます。正しい危機管理の中で 心に大きな確信が満ちるとき、大胆に行動する事も相場で勝利する知恵の一つと言えます。

相場を通して与えられた白紙の小切手に、自ら小さな金額を書き込む事がないよう、共に心したいものです。




 



神様の知恵袋はこちら